クオリアクオリア

未知なる感覚質を求めてー。

【HNL-オアフ島】「目標」という概念は捨てて下さい。

約三ヶ月ぶりに新潟を離れた。声をかけた知らない人とドライブをして、今は大阪にいる。ひっさひっさひっさしぶりの新潟「以外」の景色!!新鮮!!キャほー!!というのも束の間、ビルの多さにやられている。

 

今回のブログはハワイ島にあるヤナの森で「ここを自由に使っていいわよ」と土地を与えられたあと、保科さん圭吾さんとお別れをして、単身オアフ島で過ごした時のことを書こうと思う。

 

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かの有名なワイキキビーチの近くのホテルで目覚める。ハワイ島での車中泊生活とは打って変わって、ここはまるっきりの都会だ。同じ部屋で宿泊した圭吾さんはすでに空港へと出発したようだ。そして、保科さんはまだハワイ島にいる。ということで、徹、これからは一人。はてさて何をしようか。自分からアクションを起こさなければ、何も起こらない状況なのは確かだ。

 

外を眺め、今日も日差しが強いことを確認しながら、よし、と小さな目標をひとつだけ立ててみる。「そうだな、イルカが見たい」せっかくのハワイ、綺麗な海に身体を浮かべてイルカが拝めたら嬉しい気がする。頭の片隅にはモバイル茶室構想のこともあるけれどそれはそれ、これはこれだ。まずはイルカ。カモンイルカ。

 

モバイル茶室構想についてもちらっと書いた前回の記事

toruquqlia.hatenablog.com

 

 

ワイキキ在住のNさんが車を出してくれることになり、オアフ島の西海岸に位置するマカハへと向かう。Nさんのご友人のお家を目指す。その前に少しだけ、と立ち寄ったお寺に日本人男性がいた。白髪の長髪をひと結びにしたダンディズム溢るる出で立ちのお侍さんにイルカが見たい旨を伝えると、なんと、フィンとゴーグルとシュノーケルを貸していただけることになった。人の優しさに触れると、当てはなくてもやれそうな気がしてくる。彼は言う。「ハワイに来たならぜひ見て帰って欲しいな。この間マカハの近くでイルカ見たから多分まだいるよ。」青い空からキラキラと雨が降りだした。 『ブレッシング』ハワイでは雨のことを祝福と呼ぶのだと聞いた。

 

ほどなくしてNさんの車は豪邸の目の前に停まった。重たそうな玄関を開く。まず真正面にそびえ立つ階段。左に進むとリビング。ソファや椅子などが置いてない代わりに、掘りごたつ形式の凹みにクッションがずらり。かなり快適そうだ。他にはシアタールームや、マッサージの施術用のお部屋、外には南国らしいお庭の中に、バーカウンターやダイニングテーブル、特大のBBQグリルがあった。驚いたことに、この全てをここで暮らすご夫婦の旦那様が手作りで作ったものだという。ふと、ダンボールを引いて眠った台湾の日々を思い出す。あれも家、いま目の当たりにしているこれも家。勉強になるなー!

 

翌朝、イルカが泳いでいそうなビーチに向かう。ここはお侍さんが教えてくれた場所だ。早速、海に入ると海底は砂地だとわかった。水深約15m。想像していた岩場や小魚の群れは見当たらない。まるで、砂が敷き詰められた大きなプールに入っているようだ。首をふって周囲を確認しながらひたすら泳ぐ。が、やはりノーイルカ。一旦、陸に上がる。ここまで送ってくれたご夫婦の奥様から「残念だね」とお慰めいただいたので正直に「そうでもないですよ」と答えた。そもそも海の道具一式と共にこのビーチに来れたというだけで自分には過ぎたご褒美だ。イルカは見れなかったけれど、清々しい疲労感をゲットしたぜと思っていた。ら、何やら船が何隻も沖に集まっているのが見えた。

 

さっきまではいなかった船が突如として現れた。そういえば、と侍の言葉を思い出す。「・・・イルカ見たから多分まだいるよ。ツアーの船もいたな。イルカの通り道に先回りしてさ、それでイルカが来る前に海に入って通りかかるのを待つんだ。」あ、、、多分あれだ。と思ったのも束の間、船からオレンジ色のライフジャケットを着用した人々が海に一斉に飛び込んでいるのが見える。き、きた。一回諦めたところからの大逆転をかます展開がきた。話の通りならばもうすぐあの船の近くをイルカが通過する。つまり、時間がねえ!!!

 

先ほど周辺をくまなく泳いでいたことが功を奏す。リサーチしていた海底の形や潮の流れ(かなり早い☆彡)から考えて、船まで最短で行ける入水ポイントを予測し、そこをめがけて走る。ひた走る。道具を装着していざゆかん。がむしゃらに水をかく。イルカいるかー!!オラーー!!いろーー!!

 

ようやく船に近づくと、こちらに向かって船長らしき人が手を振っている。こちらに向かって流暢なイングリッシュで叫ぶ。感覚で訳すと「船底のスクリュー回ってるから巻き込まれないように気をつけろ」「そして船の反対側に来い」「彼らはもうすぐだ」

 

 

youtu.be

 

海から上がった僕はハイパーウルトラマキシマムTHE・多幸感に包まれていた。この多幸感はなんだ。長い時間をかけて大きな目標を達成したわけでもなければ、誰かの役に立ったわけでもない。それでも確かなこの胸のとき(ざわ)めき。

 

遠くの海を見つめながら「好奇心の赴くままに目標を決めてもよいのだ」ということを思った。以前までの自分は、目標にはちゃんとした社会的意義がなくてはならないし、そんな目標を設定するのは自分にはできないと思い込んでいた。長期的な計画はもちろん、1ヶ月先の予定を組むのも苦手で、すぐに「その時はもう死んでいるかも」と思ってしまう。でも、今日のことだったり絶対にできることを目標にするのも楽しい。人に言うのも楽しいし、何より軽い気持ちになる。

 

思うに、人は必要に迫られて目標を立てるのであり、おのずから目標を立てることは少ない。仕事のため、誰かのため、将来のためと外的な要因で自分の身の振り方を決める。その分、目指す地点はどんどん遠く高くなる。目標とする地点と現在地のギャップが広がる。それがバネになっているうちはいいが、調子が落ちてくると「目指し疲れ」を発症する。

 

この疲れは身体の疲れというより、心の疲れだ。今回はその逆で、イルカを目指して海面をダッシュしたことにより身体は疲れたものの、心は充実を見た。イルカを見れたこともそうだが、それまでの過程も良かった。たぶん、好奇心から発生した目標であれば、それ自体が達成されなくてもその道を歩むだけで嬉しい気持ちになる。その嬉しさは生きている嬉しさと似ている。

 

イルカを拝めたことを喜んでくれたNさんの車でワイキキへと戻る。途中、とあるファームに立ち寄る。 大きな農地に、木でできた手作り感たっぷりの家やトレーラーハウスがぽつぽつと並んでいる。「ここへ来た人には必ず何かを作ってあげるんだ」そう言って、住人のスーリヤさんは突然来た僕たちにクスクスを炒めたスパイシーな料理を振舞ってくれた。(故郷スリランカの料理だと後に教えてくれた。)

 

彼の目が不思議に思えるくらい綺麗なので「なんでそうするのですか」と僕は訪ねる。スーリヤさんは答える。「まず、とにかく与えることを大切にしているんだよ。それだけしか考えていない。そうしていたらいつの間にかこのファームができていたんだ。だから今でも同じさ。ただ与える。与えると全て返ってくるんだ。でね、私は『私のもの』を与えているのではないんだ。このものもあなたも、全て『私』なんだ。(ちゃんと聞きとれたのは「Giving,Giving,Giving」という言葉だけだったが...!!)」

 

大きなファームの端っこに大きいクルーザーを見つけた。田畑の上にドカンと佇む。なんとなく寂しげな雰囲気の古びれた船だ。船のまわりにはマンゴーの木がたくさん植えられている。その辺を野良猫が駆けずり回る。のちに、それが若くして亡くなった青年の形見なのだと聞いた。海が大好きだった彼は「俺はこの船とマンゴーの木があればそれでいいんだ」とよく話していたという。自分も海が好きだからか、感慨深い気持ちになる。近いうちに船の中に畳を敷く計画をしているんだよ、とスーリヤさんは言う。それを聞き「モバイル茶室構想って家じゃなく船もありかも!?」と思う徹であった。


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Giving Giving Giving└( ^o^ )┐

クオリアについて書いた記事はこちらです