クオリアクオリア

未知なる感覚質を求めてー。

ひとりでやらない。(ひとりでもやるけど!)

すうううううううううう、はあああああああああああ。

 

夜が明け、東から登る太陽が海に差し込み、海藻たちがたゆとう様子はまるで喜び舞っているかのよう。わかる。その気持ち。すっごくわかる。こういう光景が存在できる場所。息を吸って吐く。ただそれだけで、心身の和らぎを感じられる場所。 

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この海の水がどこからやって来たのか、僕らは知っている。君は山からやってきた。綺麗にお掃除された山を、一目見て『美しい』と思える山を通り抜けて。同時に、土や石をほんの少し運んだ。君は「普通だよ」と言うかもしれないけれど、それがどれだけ大切なお仕事かを僕らは知っている。

 

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雨が降る音。波の音。木々のざわめき。さやさやと葉っぱたちが揺れる音。そこにひそむ虫たちの声。お家には贅沢で新鮮な『音』が毎日届く。慣れ親しんだ街の音は案外、大きな音だったのかもしれない。車の音も。電車の音も。街を作る音も。街を壊す音も。人間の耳ではわからない領域の音波たちも。

 

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佐渡ヶ島ー。生命の息吹が交差する場所ー。

神々しい口調で語って参りましたが、もうすぐ佐渡ヶ島へ渡る予定の徹です。写真は先日潜って撮りました。(景色に集中していたら岩にガリッと、岩にガリッと指先をやってしまいまして流血大サービスしてしまいました!)

 

夜の海で魚を発見。ヒレがギザギザしてる!と同時に、ギザがヒレヒレしてる!

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全国を徘徊することが多く、海あらば飛び込む癖があるぼくですが、こんなにサラサラした海は他にないと思う。あと、海を泳ぐ魚を見てからお寿司を食べるととても美味しくいただける。このワンセットも死ぬ前に一度はぜひ体験してみてほしい。

 

フグです!でかいです!こわいです!けど、、動きがすっごく遅いです!

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少なからず、いや、とても少ないけれど、様々な場所に行って得たことは佐渡の風景は佐渡以外にないこと。佐渡ヶ島でのエクスペリエンスは再現性がとても低いこと。海のサラサラ感も空気のうまさも国賓級だけれど、それを味わうすべは、、、、、、今一度考えてみてもやっぱりないな、と思う。

 

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曲がりなりに曲がりながら丸4年、佐渡ヶ島を拠点のひとつにして生活してきた。一ヶ月間で30名の方々を受け入れたり、親抜きで遊びにきた子どもたちと暮らしたり、時には子どもたちを関東に迎えに行ったり、マッサージをしていた相手が突然涙をこぼしたり、夜空の星と島人の心意気が美しくてひとり号泣したり、大学生たちが一挙に20人くらい押し寄せてどんちゃん騒ぎしたり、テレビでも放送される地元のカラオケ大会に出場したり、村の人たちと一緒に山をお掃除したり、何もしていないのに「がんばってね」と活動資金を振り込んでくれた人がいたり、死ぬほどサザエを食べて一生サザエ食べなくてもいいと思ったり、朝5時に起きて釣りをしたり、釣ったイカを食べたり、住み着いた猫に魚をあげたり、振り返るとキリがない。

 

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今年も手の足りていない稲刈りが始まる。この頃になるとだいたい村のボスから電話がかかってくる。「おい、お前たちどこほっつき歩いとるんだ。」元気の良い声が僕らを呼ぶ。僕と保科さんは本当に各地をほっつき歩いている。「はいわかりました〜。」のんびり返答する。もうすぐ佐渡へ渡る。そんなちーむぜろの合言葉は『ひとりでやらない』。みんなでやればいいんだよ。みんなでやろうとチャレンジすることはひとりでもやるけれどね。でも、ひとりの大きな一歩よりも、みんなの小さな一歩の方が大きいことを忘れてはいけない。みんなで生きるのだ。みんなで生きるという生活技術を身につけるのだ。そのためには渡り鳥が必要だと思う。ほっつき歩く渡り鳥が。

 

9/22(土)~9/30(日)の日程で佐渡ヶ島へ渡り、丹田に力を込めながら稲刈りをします。もしよかったらぜひぜひお越しくださいませ☆災害対策の観点からイベント文を書きましたので、ご一読よろしくお願いします。告知が急ではございますが、タンポポの綿毛のようなフットワークでふわり軽やかにカモンベイビー!

「災害対策の鬼(ちーむぜろ)です!大人しくなっていたteam-0の佐渡ヶ島生活ですが、今年もなんとか首の皮一枚繋いで、美しい山々に広がる天空の棚田で稲刈りが出来ることになりました…⛄️🌾🌊🌄🦄♐️

https://www.facebook.com/events/381554245735589/

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島流しの今日。も13こ目に突入しました。

 

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挨拶の神様も稲刈りに来てくれることに。。

 

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かむきとおる

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天空の棚田で育ったツヤツヤネバネバウマウマの新米がほしい方はメッセージくだ祭🐳

 

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【NGT-新潟】壊すのは楽しい。それは、つくる楽しさなんだ。

過去に見たとても鮮明だった夢をまるで現実に体験したかのように覚えている。婚約証明書にはすでに『嘉向 徹』と書かれていて、もう一方の空欄を隣に座る女性がゆっくりと埋めていく。たいてい、この辺りから記憶がうやむやになるけれど、今でもその名前は忘れられない。彼女の名前は『作』だった。サクと読む(のだと思う)。

 

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北陸の孤島、生まれ故郷・新潟には農家が多いらしい。私の数少ない友達、同級生Yくんの自宅にも祖父が使っていた農作業用の小屋がいくつかあり、そのどれもが今ではほとんど朽ちてしまっている。このことが家族内で議題に上がり、Yくんはこの小屋をどうやって処分しようか、と思っていたところだった。そこでなんとなんと「とおる小屋壊せる?」と僕にお手伝いの打診をした。

 

形あるものの破壊

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【HNL-オアフ島】「目標」という概念は捨てて下さい。

約三ヶ月ぶりに新潟を離れた。声をかけた知らない人とドライブをして、今は大阪にいる。ひっさひっさひっさしぶりの新潟「以外」の景色!!新鮮!!キャほー!!というのも束の間、ビルの多さにやられている。

 

今回のブログはハワイ島にあるヤナの森で「ここを自由に使っていいわよ」と土地を与えられたあと、保科さん圭吾さんとお別れをして、単身オアフ島で過ごした時のことを書こうと思う。

 

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かの有名なワイキキビーチの近くのホテルで目覚める。ハワイ島での車中泊生活とは打って変わって、ここはまるっきりの都会だ。同じ部屋で宿泊した圭吾さんはすでに空港へと出発したようだ。そして、保科さんはまだハワイ島にいる。ということで、徹、これからは一人。はてさて何をしようか。自分からアクションを起こさなければ、何も起こらない状況なのは確かだ。

 

外を眺め、今日も日差しが強いことを確認しながら、よし、と小さな目標をひとつだけ立ててみる。「そうだな、イルカが見たい」せっかくのハワイ、綺麗な海に身体を浮かべてイルカが拝めたら嬉しい気がする。頭の片隅にはモバイル茶室構想のこともあるけれどそれはそれ、これはこれだ。まずはイルカ。カモンイルカ。

 

モバイル茶室構想についてもちらっと書いた前回の記事

toruquqlia.hatenablog.com

 

 

ワイキキ在住のNさんが車を出してくれることになり、オアフ島の西海岸に位置するマカハへと向かう。Nさんのご友人のお家を目指す。その前に少しだけ、と立ち寄ったお寺に日本人男性がいた。白髪の長髪をひと結びにしたダンディズム溢るる出で立ちのお侍さんにイルカが見たい旨を伝えると、なんと、フィンとゴーグルとシュノーケルを貸していただけることになった。人の優しさに触れると、当てはなくてもやれそうな気がしてくる。彼は言う。「ハワイに来たならぜひ見て帰って欲しいな。この間マカハの近くでイルカ見たから多分まだいるよ。」青い空からキラキラと雨が降りだした。 『ブレッシング』ハワイでは雨のことを祝福と呼ぶのだと聞いた。

 

ほどなくしてNさんの車は豪邸の目の前に停まった。重たそうな玄関を開く。まず真正面にそびえ立つ階段。左に進むとリビング。ソファや椅子などが置いてない代わりに、掘りごたつ形式の凹みにクッションがずらり。かなり快適そうだ。他にはシアタールームや、マッサージの施術用のお部屋、外には南国らしいお庭の中に、バーカウンターやダイニングテーブル、特大のBBQグリルがあった。驚いたことに、この全てをここで暮らすご夫婦の旦那様が手作りで作ったものだという。ふと、ダンボールを引いて眠った台湾の日々を思い出す。あれも家、いま目の当たりにしているこれも家。勉強になるなー!

 

翌朝、イルカが泳いでいそうなビーチに向かう。ここはお侍さんが教えてくれた場所だ。早速、海に入ると海底は砂地だとわかった。水深約15m。想像していた岩場や小魚の群れは見当たらない。まるで、砂が敷き詰められた大きなプールに入っているようだ。首をふって周囲を確認しながらひたすら泳ぐ。が、やはりノーイルカ。一旦、陸に上がる。ここまで送ってくれたご夫婦の奥様から「残念だね」とお慰めいただいたので正直に「そうでもないですよ」と答えた。そもそも海の道具一式と共にこのビーチに来れたというだけで自分には過ぎたご褒美だ。イルカは見れなかったけれど、清々しい疲労感をゲットしたぜと思っていた。ら、何やら船が何隻も沖に集まっているのが見えた。

 

さっきまではいなかった船が突如として現れた。そういえば、と侍の言葉を思い出す。「・・・イルカ見たから多分まだいるよ。ツアーの船もいたな。イルカの通り道に先回りしてさ、それでイルカが来る前に海に入って通りかかるのを待つんだ。」あ、、、多分あれだ。と思ったのも束の間、船からオレンジ色のライフジャケットを着用した人々が海に一斉に飛び込んでいるのが見える。き、きた。一回諦めたところからの大逆転をかます展開がきた。話の通りならばもうすぐあの船の近くをイルカが通過する。つまり、時間がねえ!!!

 

先ほど周辺をくまなく泳いでいたことが功を奏す。リサーチしていた海底の形や潮の流れ(かなり早い☆彡)から考えて、船まで最短で行ける入水ポイントを予測し、そこをめがけて走る。ひた走る。道具を装着していざゆかん。がむしゃらに水をかく。イルカいるかー!!オラーー!!いろーー!!

 

ようやく船に近づくと、こちらに向かって船長らしき人が手を振っている。こちらに向かって流暢なイングリッシュで叫ぶ。感覚で訳すと「船底のスクリュー回ってるから巻き込まれないように気をつけろ」「そして船の反対側に来い」「彼らはもうすぐだ」

 

 

youtu.be

 

海から上がった僕はハイパーウルトラマキシマムTHE・多幸感に包まれていた。この多幸感はなんだ。長い時間をかけて大きな目標を達成したわけでもなければ、誰かの役に立ったわけでもない。それでも確かなこの胸のとき(ざわ)めき。

 

遠くの海を見つめながら「好奇心の赴くままに目標を決めてもよいのだ」ということを思った。以前までの自分は、目標にはちゃんとした社会的意義がなくてはならないし、そんな目標を設定するのは自分にはできないと思い込んでいた。長期的な計画はもちろん、1ヶ月先の予定を組むのも苦手で、すぐに「その時はもう死んでいるかも」と思ってしまう。でも、今日のことだったり絶対にできることを目標にするのも楽しい。人に言うのも楽しいし、何より軽い気持ちになる。

 

思うに、人は必要に迫られて目標を立てるのであり、おのずから目標を立てることは少ない。仕事のため、誰かのため、将来のためと外的な要因で自分の身の振り方を決める。その分、目指す地点はどんどん遠く高くなる。目標とする地点と現在地のギャップが広がる。それがバネになっているうちはいいが、調子が落ちてくると「目指し疲れ」を発症する。

 

この疲れは身体の疲れというより、心の疲れだ。今回はその逆で、イルカを目指して海面をダッシュしたことにより身体は疲れたものの、心は充実を見た。イルカを見れたこともそうだが、それまでの過程も良かった。たぶん、好奇心から発生した目標であれば、それ自体が達成されなくてもその道を歩むだけで嬉しい気持ちになる。その嬉しさは生きている嬉しさと似ている。

 

イルカを拝めたことを喜んでくれたNさんの車でワイキキへと戻る。途中、とあるファームに立ち寄る。 大きな農地に、木でできた手作り感たっぷりの家やトレーラーハウスがぽつぽつと並んでいる。「ここへ来た人には必ず何かを作ってあげるんだ」そう言って、住人のスーリヤさんは突然来た僕たちにクスクスを炒めたスパイシーな料理を振舞ってくれた。(故郷スリランカの料理だと後に教えてくれた。)

 

彼の目が不思議に思えるくらい綺麗なので「なんでそうするのですか」と僕は訪ねる。スーリヤさんは答える。「まず、とにかく与えることを大切にしているんだよ。それだけしか考えていない。そうしていたらいつの間にかこのファームができていたんだ。だから今でも同じさ。ただ与える。与えると全て返ってくるんだ。でね、私は『私のもの』を与えているのではないんだ。このものもあなたも、全て『私』なんだ。(ちゃんと聞きとれたのは「Giving,Giving,Giving」という言葉だけだったが...!!)」

 

大きなファームの端っこに大きいクルーザーを見つけた。田畑の上にドカンと佇む。なんとなく寂しげな雰囲気の古びれた船だ。船のまわりにはマンゴーの木がたくさん植えられている。その辺を野良猫が駆けずり回る。のちに、それが若くして亡くなった青年の形見なのだと聞いた。海が大好きだった彼は「俺はこの船とマンゴーの木があればそれでいいんだ」とよく話していたという。自分も海が好きだからか、感慨深い気持ちになる。近いうちに船の中に畳を敷く計画をしているんだよ、とスーリヤさんは言う。それを聞き「モバイル茶室構想って家じゃなく船もありかも!?」と思う徹であった。


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Giving Giving Giving└( ^o^ )┐

クオリアについて書いた記事はこちらです

 

【ITO-ヒロ】ヤナの森の僕らの生活。

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ハワイ島からホノルル空港のあるオアフ島へ戻ってきた。夜風が心地よく吹き抜ける部屋の片隅の椅子に腰掛けながら外を眺める。太平洋のど真ん中にあるこの島にどれだけのコンクリートを運んできたのだろうか。部屋の窓からはいくつもの建造物がひしめき合っているのが見える。今考えるとハワイ島で過ごした一週間が夢のように思える。ペレの住むキラウェア火山。心身を癒すウォームポンド。雨の港町ヒロ。そして、道ゆく人のハワイアンスマイル。


結論から言うと、僕らはハワイ島で「家(的なサムシング)」を見つけることができた。買うのでもなく、交換するのでもなく、ごく自然な流れでそれは発生した。まだまだ足りないところはあるけれど、0が1になったことは果実が実ったかのように嬉しい。これからはその実がゆっくりと熟していくような見守りが必要になると思う。

 

 

 ・一日一本動画「oneday60seconds」

 

one day 60seconds on Strikingly

 

 

 

ヤナの森の僕らの生活

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【HNL-ハワイ】社会的偏差値0の男たちが一年で誰でもいつでも使えるお家を一年で作ってしまった話。

今、圭吾さんと保科さんとハワイに来ている。初日の夜はホテルで過ごす。真夏の太陽が照りつける今日の昼間、ハワイ在住のNさんからワイキキビーチまで車で送ってもらう幸運に早速恵まれた。時差ボケの微睡みを解消するべく小一時間、パンツ一丁砂浜で眠りこけたら日焼けが半端でない。一気に体力を消耗した。でも、適度な疲れは人生を豊かにしてくれる。明日また疲れるために、今日の疲れを今日癒し、明日また疲れたいなと思う。ということで、今夜は部屋の隅にある長めのソファで快眠を狙う。
 
今回のハワイでの目的は横浜にある『ごちゃまぜの家』の第二号として、誰でもいつでも使えるお家をハワイに作ることだ。なぜそうすることなったのか。きっかけはおよそ一ヶ月前、親愛なる坂爪圭吾さんから「今回は一人の力ではなくチームの力を存分に使って実現したいからちーむぜろの二人に手伝って欲しい!」とお達しをいただいたことで、僕たちはそのグループメッセージに「かしこまりました!」と即座に返信をした。
 
 
 
 
 
 
勢いよく言ったっものの、いつもの通り、何か手立てがあるわけではない。ぼくたちはぜろからのスタートをきらなければならない。でも、それがいつもの通り、なのだから仕方がない。そういう性分なのである。嘉向徹、27歳。気ままなフリーター。趣味、おべんきょう。座右の銘は、朝に道を聞かば、夕べ死すとも可なり。目下人生べんきょう中。べんきょうべんきょう!!
 
と、いうことで保科さんは企画の準備を、僕は動画やホームページの準備を始める。数々の話し合いを重ねながら約一ヶ月の間に飛行機代や現地での滞在費をなんとかするぜー、と右往左往奔走した結果…保科さんと合わせてハワイ滞在費10万円+航空券4/9〜23をゲットする(みなさま本当にありがとうございます!)ことができ、
 
そして、このようなホームページや動画企画が生まれた。
 
 
 
・website『ビリギャル男〜社会的偏差値0の男たちが一年で誰でもいつでも使えるお家を一年で作ってしまった話〜』この物語を作ることが今回の命題となる。
 
・一日一本あげる動画まとめ
今現在、電波を探して少しずつアップロードしております。。。
 
・ビリギャル男 in ハワイ 打ち合わせ!
こちらは主に保科さんと徹がゼロから本企画について打ち合わせをしていく風景をそのまま残したラジオになります。やすみ時間にどうぞ☆彡
 
 
 
 
勇気が出る番組

【NGT-新潟】美しく怒れ。

親愛なる圭吾さんから「いまハワイへの飛行機がキャンペーン中です!」とメッセージをいただく。驚いた。ワイハーには一度も行ったことがない。というか想像したこともなかった。自宅前の雪原を見つめながら、ハワイに現を抜かす平日の昼下がりである。

 

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 犬は自分の周りにいる人間の上下関係や立ち振る舞いをよく見ていて、相手によって自分の態度を変えるらしい。どこで知ったか知らないが、14歳の少年と会う前のぼくはこのようなことを考え「ふむふむ...ということは少年も、俺の一挙手一投足を観察してきて然るべきでござる!」と盲信した。2017年のクリスマスイブ、少年を出迎えた羽田空港からいざ出陣、渋谷駅ハチ公前に直行し、FREEビンタなる関所を設置。これが彼への自己紹介代わりにと計画された計画である。彼がどう思ったのかの伏線は回収いたしません!

 

それではここで、『FREEビンタ計画(女人限定)』の中身を共有させていただきたい所存。

 

 羽田空港を出てそのままの足で渋谷駅前に行く。ここぞとばかりに幸せオーラを放つ雑踏の中、たぶん100人にひとりくらいはイブの予定をドタキャンされて怒り狂う。怒りを愚痴るため友達に電話をしたりするも繋がらない。友達は「ごめ〜ん、今彼氏といる」とラインしてくる。これを99回繰り返す。そう、自分(100人にひとり)を除いて約束どおりにイブを過ごす人々は目の前の恋に無我夢中抱腹絶倒なのだ。そのような経緯を辿り、幸せに溢れる街にて怒りは行き場を失ってしまう。ぼくたちはその路上でFREEビンタなるものを開催する。それは、相手とぼくとの間で怒りを出してもOKという風潮を生じさせるためだ。空気がうまく醸成されれば、街に溜まった怒りは徹の頬に収束する。人々の怒りは頬の痛みにチェンジし、頬の痛みが徹の体内でエネルギー変換され「良いお年を〜 with スマイルボイス」になって相手の鼓膜を揺らす。結果、頬の痛み以外はいい感じになる。

 

 このような仮定のもと実際にやってみたところ「別に怒ってないけどビンタしてみたい!」という方々がほとんどで、それはそれで平和で微笑ましかったのでよしとしたい。

 

「なぜビンタしたいと思ったのですか?」というインタビューを欠かさなかった実際の様子はこちらの動画です。

 Special thanks 保科Boy & hidev-O

 

 蓋をすれば、何かしら別の形で出てしまうのが感情だ。過去に500円くらいで参加できるセミナーに参加しまくっていた頃に、感情と真逆のことをするとトラウマの原因になると聞いた。例えば道で転んでしまった時、本当は痛いのに道行く人の面前だからといって痛くないフリをする。すると身体の中では、車でいうところのアクセルとブレーキを同時に踏み込んでいるような状態が起こる。これを回避するには、痛い時に「いってえええwww!!」と言えばいいらしい。こわいかもしれないけれど、まずは自分が自分を大切にすることがいつも一番大事だと思う。

 

 

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 空気を読みがちな空間に染まれば、自分の怒りを果たしてどう出せばよいものやら、となることは多い。相手との信頼関係が、その場の空気が、などと考えて腰が引けてしまう。なるべくまあるい気持ちになって言うと、そんな想像はぶっ壊したいと思う。怒ったあなたは美しい。自分が感じたことを、ゆっくり、しっかり、相手の目を見て話せば、伝えたいことは伝わる。それでも関係がこじれた時は単純に自分の力不足だと深く反省することもあるが、反省してまた自分を見つめなおせばいいのだと思えば、幾分か晴れやかな気持ちになる。

 

 

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 喜怒哀楽とは本来、清々しい。それを隠したりねじ曲げたりするから「お前どんな顔してんだよ!」と言いたくなる。経験上、つくった笑顔はすぐバレる。笑みはつくれても全体の不自然さは隠せない。だから、笑いたくない時は普通の顔をしていればいいし、「久しぶり!元気?!」と聞かれたら「普通です!」と答えるのもありだと思う。一年ほど前から普通ですと言うようにしたらすこぶる気分がいいことに気づいた。言ったあとに気分がいいのは「本当のことを話せることができた」と感じるからだと思う。

 

 

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頬は痛いが、ビンタをした直後にキャッキャしている人を見ると「怒りがいい感じに変換されている!」と嬉しくなった。野生動物の業界では己の怒りを外敵から自分の子どもの身を守ろうとするとき、普段以上の力を出すために使うそうだ。太古の怒りは根っこに信念や優しさを宿したものだったと思う。科学の成長はめざましく、日常はますます便利になっているけれど、成長するのは科学だけではない。怒りをもってビンタをすることでテンションあげ!になるような些細な生活技術も、進化をする。それはどんな未来だろうかと思いを馳せる。そこに至る道があるとすれば、いまは石橋を壊して川を泳ぐくらいのことで探求したい所存。

 

 

 

 

 

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怒り狂う 想いに裏腹 ビンタあげ└( ^o^ )┐


ガチンコで愚痴りたくなったときはこちらの『怒ってもおっけー!』ダイヤルへかけてみてください。

嘉向徹 08043952258

 

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【FUK-福岡】自分の人生を自分で漕ぐ喜び。

 年末年始だろうがなんだろうが24時間体制で生きていると、どこからともなく白羽の矢が飛んでくる。臨機応変に動くことはそれなりに大変だけれど、できるだけ応えていきたい性分なのだから仕方がない。実際、何が起こるかわからない【予測不可能性】には面白みを感じるし、全てがわかっている状況はつまらない(時もある)。このブログを書いている今も新潟市は「猛」がつくほど吹雪いている。過去に、校舎を立て直すくらい大きめな地震も経験したし、寒すぎるがゆえに地域全体が停電し学校が休みになることもあった。そのような環境で育ったこともあり、自分の身体には予測不可能であることをガシガシ受け入れる遺伝子が備わっているように感じる。

 

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team-0.hatenadiary.jp

team-0.hatenadiary.jp

 

 2017年12月24日クリスマスイブ。「私たちの息子を徹くんに同行させてほしい」と、Uご夫妻からのご依頼で、福岡から単独でやって来た14歳・少年『ヒデ坊』と羽田空港にて合流する。このことのきっかけとなった一本の電話で父親・Tさんは私に言う。

 「息子が学校に行ってないけんさ、ずっっっっと家におるったい。それでね、誰かに預かってもらうのもありかなーと思って考えてたんだけどさ。ちゃんとした人に預けるなら(学校と)同じかなと思ってさ。徹くんはそこらへん、何が起こったとしても、大丈夫じゃなくても、大丈夫っちゃろ?心配はするけどそういう人になら安心して預けられるっちゅーかね。そういうことが必要だと思うんよね。けど、本当に、もし大丈夫だったらでいいけんね!」

このようなぶっ込みが初めての私は了承と確認を繰り返しつつ、内心、いま俺はなにを求められているのだろう、と思ったりもしたけれど別に深くは考えていなかった。(運命よ)来るなら来い、と思っていた。このような経緯でクリスマスイブと14歳少年を羽田空港で迎えることになる。

  

 今回の目標は『ふたりで福岡に帰る』のみでほかには予定がない。夜になってから明日どうしようと考え始めるスタイルで日々に挑んでいく。そんなんだから時折、「(どうしようもないけど)どうしよう」という場面に遭遇する。そんな場面ではことごとく行き逢う方々にめちゃくちゃお世話になり、24時間やってる系のお店にもお世話になった。結果的に彼とは2週間を共に過ごしたが、もしかすると3日程度で福岡に帰っていたかもしれない。

 

 のちにヒデ坊から聞いたのは、この話を親から持ちかけられた際、「徹くんは何をやってるひと?」と親に聞いたところ、「私たちも本当のところはよくわからんのよねぇ...やけど...檻の外で生きてるったい」などと言われたそうだ。それを聞いて彼は、面白そうだと思ったらしい。ご夫婦とは出会って1年、会ったのは3、4回ほどだ。たったのそれっぽっちで息子を私に預けるのだから両親も彼も私も、三者三様に「なんじゃそりゃッッッ...!!!」と自分で自分に突っ込みたい気持ちだったと思う。

 

そのような日々のあれこれを実際は書き尽くせないほどたくさん色々あったのですが、時系列に10こくらいでまとめます。よろしくお願いします!書き切れなかった皆様、本当にありがとうござい土下座ました!

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1・「安心安全にお返しする」わけにはいかない。

 

 安全に家までお返しする。ひとさまの子どもを預かる系では常識中の常識である。しかし、Uご夫妻は何かしらの事情と気持ちがあってどこぞの馬の骨である私に声をかけてくれたはずだ。その情熱と情愛を、チャレンジしてくれた気持ちを、考えれば考えるほどに安心とか安全を100%保証してほしい訳ではない、という答えに導かれる。私自身、安心安全の道を通ってさえいればUご夫妻にもヒデ坊にも保護者としての体裁は繕える。そういう気持ちが芽生えるたびに、徹の名にかけてそれだけはすまいと、もしするのであれば、ヒデ坊には今すぐ新幹線に乗って自宅まで帰ってもらうことにしようと思った。合言葉は「たいがいのことは知恵と工夫で乗り切れる」だ。

 

2・出会う瞬間は相手(自分)へのサプライズプレゼント。

 

 名前、出身地、肩書きなどを言い合う基本的な自己紹介を大の苦手とする私は、出会い頭にいかにして自分が相手に伝わるかを日々研究している。理想は「嘉向徹です!」とだけ叫んだ後にとりゃーーーっ!と海に飛び込みたい。けれど、悲しいかな、羽田空港に海はない。ということで、空港から出たそのままの足で渋谷駅に直行。ハチ公前でFREEビンタ(徹へのビンタがフリーな初の試み)なるものを開催。ヒデ坊にはカメラを渡し動画の撮影をお願いする。彼がどう受け取ったかはわからない。けれど、はるばる会いに来た相手が出会ったその日に頬をばちんばちん叩かれていく様は彼の目にどう映っただろう。「おいおいこいつバカじゃねえか!」「最初がこれならこれからどうなるんだよ!」と期待と不安まじりに思ってくれていたら幸いです。

 

3・良い経験になるかどうかなんて知らない。

 

 静岡県熱海市のお家にお邪魔しているときのこと。ここ熱海市にはリフレッシュしたり(たまに)寝泊まりするのに大変お世話になっている洞窟がある。ヒデ坊はその日、人生に一回くらいはそこで寝てみようという運びになっていた。日も暮れていよいよという頃合い、なんだか思いつめたようにヒデ坊が私に「あの、洞窟で寝るのって良い経験になりますかね?」と声をかけた。私はこのとき、敬愛するアカギという漫画に出て来た一節を思い出した。『弱気に流れている人間は理に頼ろうとする』である。別に、洞窟に行けと思っている訳ではない。やりたくなければやらなければいい。ただ、彼からの問いに対して、やる前から良いとわかることだけやるような痩せた考えはよせよ、と自戒の念を込めて思った。

 

4・曲の力を借りる。

 

 彼といる期間中に、なんとなくテーマソングを設定する。ウルフルズの「情熱A GO GO」という爽快感のある曲だ。歌詞に

やめちまいたいぜ ケツ割りたいぜ 寝たふりしていたいぜ そうだけど投げ出したくない 熱い心を ぶっ壊したいぜ 抜け出したいぜ 胸を張りたいぜ 裸のまま 本能のまま 熱い心で 

という部分がある。ヒデ坊がこの曲を聞いて、なんだか自分のことみたいだな、と言った。私も自分のことのようだと思っている。

 

5・川の流れのように生きれば困難は遊びになる。

 

 新年明けまして、1月2日。とある方から御歳80歳を超えたおばあちゃまを車で送るために鳥取から静岡までドライバーをしてほしい、と頼まれる。我々は関東から九州を目指しているので全くの逆方向である。しかし、自分のもとへと巡ってきた流れに順じたい性分が圧倒的に上回った。翌日、神奈川からヒッチハイクで鳥取を目指すことにする。喜劇の始まりである。深夜3時、目的地に到着。最高級温泉宿とジビエ(天然の野生鳥獣の食肉)を二泊三日にわたりありがたく頂戴する(次は自分がイノシシに食べられることになってもいいと思うくらい爆食いした)。いざ、レンタルした車で鳥取を出発。依頼主でありおばあちゃまの娘さんであるMさんを京都へお送りする。再度、出発。車内ではおばあちゃまから「今この車はどこへ向かっているの?」と聞かれる。「自宅へ向かっていますよ」とヒデ坊が答える。数分後、「今どこへ向かっているのかしら?」と聞かれる。「今鳥取の温泉宿から熱海の自宅へ向かっていますよ」と徹が答える。2時間に一度はトイレに立ち寄り、その度におばあちゃまの安全を確保するべくヒデ坊と協力する。深夜1時、熱海に到着。無事におばあちゃまをご自宅までお送りし終え、ヒデ坊と互いをねぎらい合う。

 

6・究極、理由がなければやれない

 

 熱海から再度、九州を目指す。ヒッチハイクをするためにサービスエリア(SA)まで自力で行ったものの、私は忽然とやる気を失くした。気が抜けたのかヒデ坊も昼寝をする。6時間ほどごろごろしたのち、SAを出て最寄駅まで歩いた。私がやる気を失くしたのは、私が率先してヒッチハイクをやることはヒデ坊にとって「何もしなくても目的地へ移動できる」という点に置いて、彼が新幹線に乗るのと変わらない、と思ったからである。自分よりも年上の、技術も上の私とヒッチハイクすることほど冷めることはないと思う。一見、アドベンチャーのように見えるけれどこれは全くの別物だ。表面上一緒にやると言っても技術の差が大きすぎると【協力】にはならず、一方が引っ張り、一方は引っ張られる構図【引率】になる。究極、自分がやらなくても自分のことがどうにかなってしまう現実。人間のチカラを奪うのはこれだ、と思う。だから、ヒデ坊がやりたければヒッチハイクでもいいし、そうでなければ新幹線とか飛行機で帰ってもいい。などとやりながら考えたことをヒデ坊に話しながら夜道の茶畑を縫って歩いた。

 

7・心配の正体は、あなたが『大事』ではなく『面倒』

 

 電車に乗り、静岡駅にやってきた。時間的に今夜はこの街で夜を明かすことになる。24時間やっていて寝ることもできるインターネットカフェは便利だけれど、18歳未満は夜8時以降とかは入ることができない場合が多い。ヒデ坊がネカフェの受付で入場を断られたとき、心底、彼を置いて自分はネカフェに泊まらなければならないと思った。彼が今夜味わうであろう体験が今後の彼の背中を押すことになるかもしれない。私の場合、「ここでヒッチハイクできなきゃ、今夜はサービスエリアで夜を明かすことに...いやだー!どうすればいい!考えろ!知恵を出せ!工夫しろ!」という具合で、初対面の相手だろうがなりふりかまわず本気の笑顔を繰り出し、身体全体で「よろしくお願いします!」と発する。一方で、野良猫たちと一緒に夜を明かしてもおっけーとのんびり何もしないことも全然ある。実際の体験だけが自分の正念場はどこかを教えてくれる気がする。

 とか思いながらも、私はヒデ坊を置いていくことができなかった。見知らぬ街で過ごす14歳の夜を心配することが心の底から面倒だ、と気づいたからである。それで彼も泊まることができる場所を勝手に探し、タクシーに乗り込み、速攻で向かった。自身の安眠のため、ヒデ坊に訪れたチャンスを奪うつもりで奪った。

 

8・女神降臨。

 

 夜が明け、私たちは愛知県刈谷市へ移動する。新年会が行われるMさんの新居に一晩泊めてもらえることになったのだ。MさんとMさんの旦那さんとふたりの大学時代からのご友人たちと過ごす時間はとても楽しく、気楽で、まさに極楽浄土である。前から友達だったかのようにヒデ坊に接してくれた皆様には本当に頭が上がらない。満腹になり心もほぐれ、ヒデ坊は和室の布団で、私はリビングのベッドでそっと目を閉じる。十分な休息は心の余裕をつくってくれる。余裕があるとなんでも平気に思えたりするものだ。明日からも色々あるかもしれない。けれど、全然おっけーです!!と思って寝た。

 

9・自分の人生を自分で漕ぐ喜び。

 

 今日こそは何かしらの方法で九州を目指そうという朝。 ヒデ坊が私に「徹さん、あのですね。やっぱりヒッチハイクしないままだとですね。家に帰れないなあと思いまして。それで、ヒッチハイクやってもいいですかね。」と言う。もちろん快諾し、Mさんにお願いして最寄りのSAまで送ってもらった。室内待機をする私に行ってきますと一言残し、ヒデ坊は颯爽と外へ行く。しとしとと雨が降っていた。

1時間半後、ヒデ坊から「見つかりました」とLINE。速攻で「ありがとう!おめでとう!すぐ行くね!」と返す。急いで荷物をまとめていると、なぜかヒデ坊がやってきた。「(車が待っている)場所がわからないかと思って!」と目をキラキラさせて私に言う。準備が整い、私たちを待っているであろう車へと向かう。ヒデ坊が先を歩く。「こちらです!あの黒い車です!」と嬉しそうに私を導く。車へ近づくと運転手の方が降りてくる。ヒデ坊がささっと私と運転手の間に入り、その方に向かって「〇〇さん、お待たせしました!この人が一緒にヒッチハイクをしている人で徹さんと言います!」つづけて私に向かい、「徹さん、広島まで乗せてくれることになりました〇〇さんです!」と言う。この間、ヒデ坊は終始、見事なまでの『ドヤ顔』だったことをここに断言したい。俺がこの場を回しているんだ。俺を中心に世界が回っているんだ。という心情があらわになった、世界標準のドヤ顔はこれか、と思うほどわかりやすいドヤフェイスをまざまざと見せつけられる。

 

10・気持ちの良い疲れほど心を豊かにするものはない。

 

 てっぺんを周り深夜3時、ヒデ坊の実家の近くのSAに到着する。4台の車を乗り継ぎ、雨にも濡れ、車内でもふたりして喋りまくり、山口県の山あいでは車に声をかけるために吹雪の中を走り回り、超絶眠たかった最後の車中ではそれはそれはあつ〜くネットワークビジネスに勧誘された。乗せてくれた方にお礼を言い、私たちはSA内の売店でジュースを購買し、乾杯する。

徹「これからどうする?」

坊「家まで歩いて行きましょう!」

自宅まで二時間の道のりを歩む。

 

11・『ラストラン』

 

坊「んは〜〜〜〜〜〜〜〜〜」

徹「そんな声だしてどうしたの?」

坊「いや〜〜なんか、疲れてるんですけど、疲れもいいな〜って、手も冷たいし寒いんですけど、寒さもいいな〜って、めっちゃ眠たいんですけど、この眠たさもいいな〜と思ってですね。」

徹「それはすごいね!俺はいま歩くのが超面倒くさいと思ってるよ」

坊「だって今日の朝、僕たち愛知にいたんですよ?それがいま福岡まで帰ってきたってすごくないですか?」

徹「それもそうだけど、こないだだって一日で神奈川から鳥取とか、鳥取から静岡とか移動したじゃん。それと同じじゃないんだ?」

坊「う〜〜ん、それは徹さんがヒッチハイクするのを後ろから着いて行ったり、徹さんが運転してくれたりしたじゃないですか。今日はそれとは違って自分でやったというか、今朝ぼく、徹さんにヒッチハイクやって帰りたいって言ったじゃないですか。それで、自分で声をかけて、乗せてもらってきたからというか」

徹「うえええい!それはほんとによかったね!」

坊「はい、、、あ〜〜〜〜いや〜〜〜〜〜〜」

徹「ヒデ坊、いま相当いい声出てるよ」

坊「あ〜〜〜なんかいまですね、いま...すべてがいい感じに見えます」

 

12・後日談

 

早朝だというのに、息子の生還を知ったUご夫妻は一家総出(ヒデ坊は弟が3人いる)で迎えにきてくれた。家から徒歩10分くらいの距離を最後は父の運転する車で、家族全員で帰った。私はUご夫妻からいただいた別のお仕事もあり、そのまま一週間ほどヒデ坊の実家に滞在した。Uご夫妻曰く、ヒデ坊は変わったらしい。私にはあまり変化のないように感じるが、かなり明るくなったそうだ。行きつけのカフェの顔馴染みの店員さんからも「こないだまで子どもだったのに、社会人みたいになったね」と言われたりもしたらしい。極めつけに、平日の昼下がり、基本学校に行っていないヒデ坊が、家中に聞こえるような声で歌いドタドタと踊り、汗かいたわ〜と言ってシャワーを浴びているのだ。私がその光景を見て、ヒデ坊のお母さんに「これは、家ではいつものことですか?」と尋ねると、お母さんは「ううん、初めて」と微笑んだ。

 

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すべてがいい感じに見える└( ^o^ )┐


あんな風にところかまわず歌っているところを見ると、完全に私の影響を受けてしまったと確信せざるを得ない。が、それはきっと受け売りではなく、彼自身がフレッシュな感情を伴いながら実際の体験を通して咀嚼したものだろうと思いたい。

 

 ここまでお読みいただきありがとうございます。相棒の保科さんと『team-0(ちーむぜろ)』や『Rozé company(ロゼカンパニー)』という名前で曲がりなりに曲がりながら色々やっていて、今回の件はRozé company で【チャイルドエスケープ】というメニューをご依頼いただいた感じとなります。素人なりの温かさがウリの我々ですが、奇跡的に連絡してみたいと思われた方はこちらのURLへ飛んでみてください。

https://www.team-0.net/yuryoshigoto

 

 なにかしらの方法でご応募くださった方には70万時間以内に徹の「情熱 A Go-Go アカペラボイスメッセージ」を贈らせていただきます。

www.youtube.com

 

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