クオリアクオリア

未知なる感覚質を求めてー。

【FUK-福岡】自分の人生を自分で漕ぐ喜び。

 年末年始だろうがなんだろうが24時間体制で生きていると、どこからともなく白羽の矢が飛んでくる。臨機応変に動くことはそれなりに大変だけれど、できるだけ応えていきたい性分なのだから仕方がない。実際、何が起こるかわからない【予測不可能性】には面白みを感じるし、全てがわかっている状況はつまらない(時もある)。このブログを書いている今も新潟市は「猛」がつくほど吹雪いている。過去に、校舎を立て直すくらい大きめな地震も経験したし、寒すぎるがゆえに地域全体が停電し学校が休みになることもあった。そのような環境で育ったこともあり、自分の身体には予測不可能であることをガシガシ受け入れる遺伝子が備わっているように感じる。

 

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team-0.hatenadiary.jp

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 2017年12月24日クリスマスイブ。「私たちの息子を徹くんに同行させてほしい」と、Uご夫妻からのご依頼で、福岡から単独でやって来た14歳・少年『ヒデ坊』と羽田空港にて合流する。このことのきっかけとなった一本の電話で父親・Tさんは私に言う。

 「息子が学校に行ってないけんさ、ずっっっっと家におるったい。それでね、誰かに預かってもらうのもありかなーと思って考えてたんだけどさ。ちゃんとした人に預けるなら(学校と)同じかなと思ってさ。徹くんはそこらへん、何が起こったとしても、大丈夫じゃなくても、大丈夫っちゃろ?心配はするけどそういう人になら安心して預けられるっちゅーかね。そういうことが必要だと思うんよね。けど、本当に、もし大丈夫だったらでいいけんね!」

このようなぶっ込みが初めての私は了承と確認を繰り返しつつ、内心、いま俺はなにを求められているのだろう、と思ったりもしたけれど別に深くは考えていなかった。(運命よ)来るなら来い、と思っていた。このような経緯でクリスマスイブと14歳少年を羽田空港で迎えることになる。

  

 今回の目標は『ふたりで福岡に帰る』のみでほかには予定がない。夜になってから明日どうしようと考え始めるスタイルで日々に挑んでいく。そんなんだから時折、「(どうしようもないけど)どうしよう」という場面に遭遇する。そんな場面ではことごとく行き逢う方々にめちゃくちゃお世話になり、24時間やってる系のお店にもお世話になった。結果的に彼とは2週間を共に過ごしたが、もしかすると3日程度で福岡に帰っていたかもしれない。

 

 のちにヒデ坊から聞いたのは、この話を親から持ちかけられた際、「徹くんは何をやってるひと?」と親に聞いたところ、「私たちも本当のところはよくわからんのよねぇ...やけど...檻の外で生きてるったい」などと言われたそうだ。それを聞いて彼は、面白そうだと思ったらしい。ご夫婦とは出会って1年、会ったのは3、4回ほどだ。たったのそれっぽっちで息子を私に預けるのだから両親も彼も私も、三者三様に「なんじゃそりゃッッッ...!!!」と自分で自分に突っ込みたい気持ちだったと思う。

 

そのような日々のあれこれを実際は書き尽くせないほどたくさん色々あったのですが、時系列に10こくらいでまとめます。よろしくお願いします!書き切れなかった皆様、本当にありがとうござい土下座ました!

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1・「安心安全にお返しする」わけにはいかない。

 

 安全に家までお返しする。ひとさまの子どもを預かる系では常識中の常識である。しかし、Uご夫妻は何かしらの事情と気持ちがあってどこぞの馬の骨である私に声をかけてくれたはずだ。その情熱と情愛を、チャレンジしてくれた気持ちを、考えれば考えるほどに安心とか安全を100%保証してほしい訳ではない、という答えに導かれる。私自身、安心安全の道を通ってさえいればUご夫妻にもヒデ坊にも保護者としての体裁は繕える。そういう気持ちが芽生えるたびに、徹の名にかけてそれだけはすまいと、もしするのであれば、ヒデ坊には今すぐ新幹線に乗って自宅まで帰ってもらうことにしようと思った。合言葉は「たいがいのことは知恵と工夫で乗り切れる」だ。

 

2・出会う瞬間は相手(自分)へのサプライズプレゼント。

 

 名前、出身地、肩書きなどを言い合う基本的な自己紹介を大の苦手とする私は、出会い頭にいかにして自分が相手に伝わるかを日々研究している。理想は「嘉向徹です!」とだけ叫んだ後にとりゃーーーっ!と海に飛び込みたい。けれど、悲しいかな、羽田空港に海はない。ということで、空港から出たそのままの足で渋谷駅に直行。ハチ公前でFREEビンタ(徹へのビンタがフリーな初の試み)なるものを開催。ヒデ坊にはカメラを渡し動画の撮影をお願いする。彼がどう受け取ったかはわからない。けれど、はるばる会いに来た相手が出会ったその日に頬をばちんばちん叩かれていく様は彼の目にどう映っただろう。「おいおいこいつバカじゃねえか!」「最初がこれならこれからどうなるんだよ!」と期待と不安まじりに思ってくれていたら幸いです。

 

3・良い経験になるかどうかなんて知らない。

 

 静岡県熱海市のお家にお邪魔しているときのこと。ここ熱海市にはリフレッシュしたり(たまに)寝泊まりするのに大変お世話になっている洞窟がある。ヒデ坊はその日、人生に一回くらいはそこで寝てみようという運びになっていた。日も暮れていよいよという頃合い、なんだか思いつめたようにヒデ坊が私に「あの、洞窟で寝るのって良い経験になりますかね?」と声をかけた。私はこのとき、敬愛するアカギという漫画に出て来た一節を思い出した。『弱気に流れている人間は理に頼ろうとする』である。別に、洞窟に行けと思っている訳ではない。やりたくなければやらなければいい。ただ、彼からの問いに対して、やる前から良いとわかることだけやるような痩せた考えはよせよ、と自戒の念を込めて思った。

 

4・曲の力を借りる。

 

 彼といる期間中に、なんとなくテーマソングを設定する。ウルフルズの「情熱A GO GO」という爽快感のある曲だ。歌詞に

やめちまいたいぜ ケツ割りたいぜ 寝たふりしていたいぜ そうだけど投げ出したくない 熱い心を ぶっ壊したいぜ 抜け出したいぜ 胸を張りたいぜ 裸のまま 本能のまま 熱い心で 

という部分がある。ヒデ坊がこの曲を聞いて、なんだか自分のことみたいだな、と言った。私も自分のことのようだと思っている。

 

5・川の流れのように生きれば困難は遊びになる。

 

 新年明けまして、1月2日。とある方から御歳80歳を超えたおばあちゃまを車で送るために鳥取から静岡までドライバーをしてほしい、と頼まれる。我々は関東から九州を目指しているので全くの逆方向である。しかし、自分のもとへと巡ってきた流れに順じたい性分が圧倒的に上回った。翌日、神奈川からヒッチハイクで鳥取を目指すことにする。喜劇の始まりである。深夜3時、目的地に到着。最高級温泉宿とジビエ(天然の野生鳥獣の食肉)を二泊三日にわたりありがたく頂戴する(次は自分がイノシシに食べられることになってもいいと思うくらい爆食いした)。いざ、レンタルした車で鳥取を出発。依頼主でありおばあちゃまの娘さんであるMさんを京都へお送りする。再度、出発。車内ではおばあちゃまから「今この車はどこへ向かっているの?」と聞かれる。「自宅へ向かっていますよ」とヒデ坊が答える。数分後、「今どこへ向かっているのかしら?」と聞かれる。「今鳥取の温泉宿から熱海の自宅へ向かっていますよ」と徹が答える。2時間に一度はトイレに立ち寄り、その度におばあちゃまの安全を確保するべくヒデ坊と協力する。深夜1時、熱海に到着。無事におばあちゃまをご自宅までお送りし終え、ヒデ坊と互いをねぎらい合う。

 

6・究極、理由がなければやれない

 

 熱海から再度、九州を目指す。ヒッチハイクをするためにサービスエリア(SA)まで自力で行ったものの、私は忽然とやる気を失くした。気が抜けたのかヒデ坊も昼寝をする。6時間ほどごろごろしたのち、SAを出て最寄駅まで歩いた。私がやる気を失くしたのは、私が率先してヒッチハイクをやることはヒデ坊にとって「何もしなくても目的地へ移動できる」という点に置いて、彼が新幹線に乗るのと変わらない、と思ったからである。自分よりも年上の、技術も上の私とヒッチハイクすることほど冷めることはないと思う。一見、アドベンチャーのように見えるけれどこれは全くの別物だ。表面上一緒にやると言っても技術の差が大きすぎると【協力】にはならず、一方が引っ張り、一方は引っ張られる構図【引率】になる。究極、自分がやらなくても自分のことがどうにかなってしまう現実。人間のチカラを奪うのはこれだ、と思う。だから、ヒデ坊がやりたければヒッチハイクでもいいし、そうでなければ新幹線とか飛行機で帰ってもいい。などとやりながら考えたことをヒデ坊に話しながら夜道の茶畑を縫って歩いた。

 

7・心配の正体は、あなたが『大事』ではなく『面倒』

 

 電車に乗り、静岡駅にやってきた。時間的に今夜はこの街で夜を明かすことになる。24時間やっていて寝ることもできるインターネットカフェは便利だけれど、18歳未満は夜8時以降とかは入ることができない場合が多い。ヒデ坊がネカフェの受付で入場を断られたとき、心底、彼を置いて自分はネカフェに泊まらなければならないと思った。彼が今夜味わうであろう体験が今後の彼の背中を押すことになるかもしれない。私の場合、「ここでヒッチハイクできなきゃ、今夜はサービスエリアで夜を明かすことに...いやだー!どうすればいい!考えろ!知恵を出せ!工夫しろ!」という具合で、初対面の相手だろうがなりふりかまわず本気の笑顔を繰り出し、身体全体で「よろしくお願いします!」と発する。一方で、野良猫たちと一緒に夜を明かしてもおっけーとのんびり何もしないことも全然ある。実際の体験だけが自分の正念場はどこかを教えてくれる気がする。

 とか思いながらも、私はヒデ坊を置いていくことができなかった。見知らぬ街で過ごす14歳の夜を心配することが心の底から面倒だ、と気づいたからである。それで彼も泊まることができる場所を勝手に探し、タクシーに乗り込み、速攻で向かった。自身の安眠のため、ヒデ坊に訪れたチャンスを奪うつもりで奪った。

 

8・女神降臨。

 

 夜が明け、私たちは愛知県刈谷市へ移動する。新年会が行われるMさんの新居に一晩泊めてもらえることになったのだ。MさんとMさんの旦那さんとふたりの大学時代からのご友人たちと過ごす時間はとても楽しく、気楽で、まさに極楽浄土である。前から友達だったかのようにヒデ坊に接してくれた皆様には本当に頭が上がらない。満腹になり心もほぐれ、ヒデ坊は和室の布団で、私はリビングのベッドでそっと目を閉じる。十分な休息は心の余裕をつくってくれる。余裕があるとなんでも平気に思えたりするものだ。明日からも色々あるかもしれない。けれど、全然おっけーです!!と思って寝た。

 

9・自分の人生を自分で漕ぐ喜び。

 

 今日こそは何かしらの方法で九州を目指そうという朝。 ヒデ坊が私に「徹さん、あのですね。やっぱりヒッチハイクしないままだとですね。家に帰れないなあと思いまして。それで、ヒッチハイクやってもいいですかね。」と言う。もちろん快諾し、Mさんにお願いして最寄りのSAまで送ってもらった。室内待機をする私に行ってきますと一言残し、ヒデ坊は颯爽と外へ行く。しとしとと雨が降っていた。

1時間半後、ヒデ坊から「見つかりました」とLINE。速攻で「ありがとう!おめでとう!すぐ行くね!」と返す。急いで荷物をまとめていると、なぜかヒデ坊がやってきた。「(車が待っている)場所がわからないかと思って!」と目をキラキラさせて私に言う。準備が整い、私たちを待っているであろう車へと向かう。ヒデ坊が先を歩く。「こちらです!あの黒い車です!」と嬉しそうに私を導く。車へ近づくと運転手の方が降りてくる。ヒデ坊がささっと私と運転手の間に入り、その方に向かって「〇〇さん、お待たせしました!この人が一緒にヒッチハイクをしている人で徹さんと言います!」つづけて私に向かい、「徹さん、広島まで乗せてくれることになりました〇〇さんです!」と言う。この間、ヒデ坊は終始、見事なまでの『ドヤ顔』だったことをここに断言したい。俺がこの場を回しているんだ。俺を中心に世界が回っているんだ。という心情があらわになった、世界標準のドヤ顔はこれか、と思うほどわかりやすいドヤフェイスをまざまざと見せつけられる。

 

10・気持ちの良い疲れほど心を豊かにするものはない。

 

 てっぺんを周り深夜3時、ヒデ坊の実家の近くのSAに到着する。4台の車を乗り継ぎ、雨にも濡れ、車内でもふたりして喋りまくり、山口県の山あいでは車に声をかけるために吹雪の中を走り回り、超絶眠たかった最後の車中ではそれはそれはあつ〜くネットワークビジネスに勧誘された。乗せてくれた方にお礼を言い、私たちはSA内の売店でジュースを購買し、乾杯する。

徹「これからどうする?」

坊「家まで歩いて行きましょう!」

自宅まで二時間の道のりを歩む。

 

11・『ラストラン』

 

坊「んは〜〜〜〜〜〜〜〜〜」

徹「そんな声だしてどうしたの?」

坊「いや〜〜なんか、疲れてるんですけど、疲れもいいな〜って、手も冷たいし寒いんですけど、寒さもいいな〜って、めっちゃ眠たいんですけど、この眠たさもいいな〜と思ってですね。」

徹「それはすごいね!俺はいま歩くのが超面倒くさいと思ってるよ」

坊「だって今日の朝、僕たち愛知にいたんですよ?それがいま福岡まで帰ってきたってすごくないですか?」

徹「それもそうだけど、こないだだって一日で神奈川から鳥取とか、鳥取から静岡とか移動したじゃん。それと同じじゃないんだ?」

坊「う〜〜ん、それは徹さんがヒッチハイクするのを後ろから着いて行ったり、徹さんが運転してくれたりしたじゃないですか。今日はそれとは違って自分でやったというか、今朝ぼく、徹さんにヒッチハイクやって帰りたいって言ったじゃないですか。それで、自分で声をかけて、乗せてもらってきたからというか」

徹「うえええい!それはほんとによかったね!」

坊「はい、、、あ〜〜〜〜いや〜〜〜〜〜〜」

徹「ヒデ坊、いま相当いい声出てるよ」

坊「あ〜〜〜なんかいまですね、いま...すべてがいい感じに見えます」

 

12・後日談

 

早朝だというのに、息子の生還を知ったUご夫妻は一家総出(ヒデ坊は弟が3人いる)で迎えにきてくれた。家から徒歩10分くらいの距離を最後は父の運転する車で、家族全員で帰った。私はUご夫妻からいただいた別のお仕事もあり、そのまま一週間ほどヒデ坊の実家に滞在した。Uご夫妻曰く、ヒデ坊は変わったらしい。私にはあまり変化のないように感じるが、かなり明るくなったそうだ。行きつけのカフェの顔馴染みの店員さんからも「こないだまで子どもだったのに、社会人みたいになったね」と言われたりもしたらしい。極めつけに、平日の昼下がり、基本学校に行っていないヒデ坊が、家中に聞こえるような声で歌いドタドタと踊り、汗かいたわ〜と言ってシャワーを浴びているのだ。私がその光景を見て、ヒデ坊のお母さんに「これは、家ではいつものことですか?」と尋ねると、お母さんは「ううん、初めて」と微笑んだ。

 

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すべてがいい感じに見える└( ^o^ )┐


あんな風にところかまわず歌っているところを見ると、完全に私の影響を受けてしまったと確信せざるを得ない。が、それはきっと受け売りではなく、彼自身がフレッシュな感情を伴いながら実際の体験を通して咀嚼したものだろうと思いたい。

 

 ここまでお読みいただきありがとうございます。相棒の保科さんと『team-0(ちーむぜろ)』や『Rozé company(ロゼカンパニー)』という名前で曲がりなりに曲がりながら色々やっていて、今回の件はRozé company で【チャイルドエスケープ】というメニューをご依頼いただいた感じとなります。素人なりの温かさがウリの我々ですが、奇跡的に連絡してみたいと思われた方はこちらのURLへ飛んでみてください。

https://www.team-0.net/yuryoshigoto

 

 なにかしらの方法でご応募くださった方には70万時間以内に徹の「情熱 A Go-Go アカペラボイスメッセージ」を贈らせていただきます。

www.youtube.com

 

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