クオリアクオリア

未知なる感覚質を求めてー。

クオリア×クオリアのクオリア ー 何を経験しても、何歳になっても驚きは終わらない。

関東も北陸も大寒波が押し寄せているらしい。この機会に『懐が寒いのでカンパください☆彡』と書いた看板を持って雪の街を歩けば、自分の懐は寒いままでも行き交う人たちはクスッと少しでもあたたまってくれるだろうかなどといつもの妄想を繰り広げつつ、やはり、携帯の画面から伝わってくる温度と実際の寒さや厳しさは全然違うものなのだな、と改めて思う。実際に雪が肌に触れることと、テレビで大雪のニュースを見ることは違う。当たり前だけど、この小さな真実が嘉向徹の身体を生きる方へと誘ってくれている。

 

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(『FREEおかゆ』についてはまた後日...)

 

ブログのタイトルにもなっている『クオリア』はyoutubeで茂木健一郎さんの動画を漁っていた時に初めて知った言葉だった。講演会の中で茂木さんが「物理的な世界は有限でもクオリアの世界は無限だ。」と言っていたのを聞いて、全徹が震撼した。

 何年か前にそういうことがあり、今現在も未知のクオリアを探して日々を過ごしているのですが、今日はそのクオリアについて触れたいと思います。このブログを通して「ああ徹はこんな感じで生きているんだぬはあ」となんとなく勘付いていただけたら幸いです。14歳の徹と、27歳の徹の授業形式でいきたいと思います。よろしくお願いします。

 

徹14歳「よろしくお願いします!」

徹27歳「ほあい!」

徹14歳「えーーっと、徹さん、クオリアって何ですか?」

徹27歳「クオリアは日本語では感覚質と訳されていて、赤色を見たときの『赤い感じ』や、海を見たときの『海の感じ』など、言葉や機械的な数値で表すことのできない感覚、意識の中で感じる質感を表す概念のこと、、だと思います。基本的に脳みその中のお話です。」

徹14歳「へー!感覚の質感...のあたりが全然意味わかんなかったです!」

徹27歳「おっけぃ徹くん、それじゃあ、、、、海に飛び込んだあの夏を想像してみてほしい。まず、僕たちは海に向かって自転車を漕ぎまくっているとしよう。」

徹14歳「わかりました。超漕ぎます!」

徹27歳「日差しがじりじりと肌を焦がす。汗が滝のようにしたたりまつ毛を滑る。なま暖かい風に襟足がなびく。潮の匂いが海が近いことを知らせてくれる。自転車から降りて、ビーサンをペタペタと鳴らしながら駆け寄り、自分の23倍も大きいテトラポットに立って海を覗き込む。緑と青の揺れている透明の底が見える。目線を上げて、入道雲めがけて蹴り出した右足の指先で表面のザラザラを感じる。どこまでも飛んだつもりの勢いで海に向かって落ちていく。想像以上に硬い海面にぶつかる。その衝撃とともに、冷たくて柔らかい海に全身を包まれる。ボコボコという泡の音が水を伝って聞こえる。嗚呼、気持ちE...」

徹14歳「嗚呼、気持ちE...」

徹27歳「なんとなく想像できたかな?」

徹14歳「はい...」

徹27歳「これ、全部クオリアです。」

徹14歳「ぜんぶ?!」

徹27歳「たぶんぜんぶ!!ただ、とっても大事なことは『実際に味わってみること』だと27歳の時点の俺は思っているぜ」

徹14歳「俺(彼)は13年間で一体なにを味わったんだろうか...」

 

休み時間・・・

 

徹14歳「全部クオリアってことはテトラポットもクオリアってことか。あの、じゃあブログタイトルはテトラポット×テトラポットでもいいんですか?」

徹27歳「ブログタイトルはテトラポット×テトラポットだと嫌だな。長くて。テトラポットにもクオリアはあります。ザラザラした感じとか、潮にさらされたコンクリートの感じとか、貝がへばりついていた形跡がある感じとかあるでしょ?」

徹14歳「テトラポットのテトラポットっぽさがテトラポットのもつクオリアってことですか?」

徹27歳「筋がいいじゃないか徹少年ーー!!テトラポットに触れた時に感じる、海育ちの僕たちが感じてきたテトラポット感がテトラポットのもつクオリアってことになると思う!たぶん!」

徹14歳「なるほど、だんだんわかってきたような気がします。それで、冒頭でクオリアは無限、って書いてましたよね。それはどういうことなんですか?」

徹27歳「...着眼点が素晴らしい。『ちゃくがんてん』て知ってるかい?目の付け所が素晴らしいと言っているんだ。そこについて説明しよう。例えば、クオリアAとクオリアBがあったとする。」

徹14歳(『着眼点』くらい知ってるんだが)

徹27歳「この二つのクオリアAとBを合体させる。するとそれはAでもBでもないものになる。全く別物のクオリアCになるんだ。コーヒーにはコーヒーの感じ、牛乳には牛乳の感じがあるよね。でも、それらを足したコーヒー牛乳という飲み物はコーヒーのクオリアと牛乳のクオリアを足したものにはならないだろう?コーヒ牛乳のクオリアになるんだ。掛け合わせると全くの別物になる。これこそがクオリアのもつ無限の世界観なんだ。」

徹14歳「ちょっと興味が出てきました!それじゃあ、、」

 

キーンコーンカーンコーン・・・

 

徹27歳「はい、じゃあ今日はここまで。俺は英語の先生とランチをしてくる!創造的人生の持ち時間は10年だ。芸術家も設計家も同じだ。君の10年を、力を尽くして生きなさい。じゃあな徹少年!」・・・おしまい

 

クオリアは世界のあちこちに存在していて、世界は様々なクオリアに満ち溢れている。でもその実、クオリアは自分の中にあって、外にはない、と思う。海が怖いという人もいれば癒されるという人もいるように、クオリアは『物体』ではなく、それぞれの『人(心)』に属している。

 

  

外の世界に触れれば触れるほど、そこには自分の内側が広がっていて、自分の内側に触れれば触れるほど、世界は無限に誕生する。新聞とかテレビとか地震とか教育現場とかそんなものを見てきて「この世界は有限だなあ」などと思ったこともあったけれど、それでも世界は無限でいてくれるらしい。無限でいてくれてありがとう。

 

科学も愛もコミュニケーションもまだまだ成長と成熟、崩壊と創造を繰り返していくとしたら、まだまだ何が起こるかわからない。何を経験しても、何歳になっても驚きは終わらない。世界は内側に満ち溢れている。

 

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世界は【クオリア=内側】に満ち溢れている└( ^o^ )┐

 

おすすめなのですが、100分あります!!

www.youtube.com

 

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