クオリアクオリア

未知なる感覚質を求めてー。

ひとがOKならOKは「全然OKじゃない感」

「今夜のご飯どこに行こっか?」と聞かれて、

「どこでもいいよ」なんて言いたくはない。

 

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以前付き合っていた彼女との間で何度もこじらせた記憶がある。たまの休日に一緒にご飯に行く約束をして、合流するとこちらからいつも聞いていた。「今日はなに食べたい?」彼女は「どこでもいいかなあ」と言う。その言葉に「どこでもいいってなんなん!」と目くじらを立てていたのだった。

 

最初は彼女にプンスカするばかりだったけれど、後になってよくよく考えてみれば、これは自分自身にも言えるのではないか、と、一抹の不安がよぎる。そして、自分に向かって「お前こそどうなんだ」と問いかける。

 

今思えば、あの時の自分は彼女とご飯に行きたいわけではなかったのだろう、と思う。「きみとご飯に行きたい」という気持ちオンリーであれば、どこでもいいはどうでもいいだとか、せっかくの休みなのにだとか、彼女に対してあーだこーだ言わないだろう。一緒にご飯に行きたいのなら、それ以外のことは完全無視でいい。それを無視できず、彼女の振る舞いを見て文句をつけ、その実、この両目のついている自分自身を見落としていたのである。

 

「どこでもいい」と言った彼女に対して「きみは何も選ばないの?俺がOKならきみはOKなの?俺がじゃあマックでいいやと言えばそれでいいの?今日はたまの休みだぞ。お寿司という選択肢もあるのだぞ。それでもドライブスルーでいいのか」とまくし立てていた自分に、「じゃあ一緒に行くのをやめろ」と、「ひとりで行け」と言いたい。 

 

 

 

彼女がOKと言ってくれたから、ご飯に行く約束をしたのは、自分だった。

 

ひとがOKならOKは「全然OKじゃない感」を醸し出していたのは、彼女ではなく、自分自身だった。

 

だから、そもそもご飯に行かないという選択肢も、別々でご飯に行くという選択肢も(選ばなかったのではなく)選べなかった。

 

乗っかっているやつは心底で選べない。

 

 

 

結局、ひとのOKに乗っかりがちな自分だ。自分の気持ちを邪険に扱えば、あの人がああ言ったから、あなたがこう言ったからなどと騒ぐしかなくなる。大切なのは過去の決定に従うことでも、相手に向かって行くことでもない。今この瞬間の気持ちの揺らぎを「おれはこう思っている」と認め、真摯に対応し、自分に向かって行くことだと思う。とそんな事をすると、時に相手から猛烈に嫌われる可能性を大いに含んでいるけれど、宇宙は表裏一体、すなわち、誰かから猛烈に好かれることもあるかもしれない。

 

 

 

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「うんまあ、Ok。」なんて全然OKじゃないし!!

 

 

 



 

 

 

 

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