クオリア×クオリアのクオリア ー 何を経験しても、何歳になっても驚きは終わらない。
関東も北陸も大寒波が押し寄せているらしい。この機会に『懐が寒いのでカンパください☆彡』と書いた看板を持って雪の街を歩けば、自分の懐は寒いままでも行き交う人たちはクスッと少しでもあたたまってくれるだろうかなどといつもの妄想を繰り広げつつ、やはり、携帯の画面から伝わってくる温度と実際の寒さや厳しさは全然違うものなのだな、と改めて思う。実際に雪が肌に触れることと、テレビで大雪のニュースを見ることは違う。当たり前だけど、この小さな真実が嘉向徹の身体を生きる方へと誘ってくれている。
(『FREEおかゆ』についてはまた後日...)
ブログのタイトルにもなっている『クオリア』はyoutubeで茂木健一郎さんの動画を漁っていた時に初めて知った言葉だった。講演会の中で茂木さんが「物理的な世界は有限でもクオリアの世界は無限だ。」と言っていたのを聞いて、全徹が震撼した。
何年か前にそういうことがあり、今現在も未知のクオリアを探して日々を過ごしているのですが、今日はそのクオリアについて触れたいと思います。このブログを通して「ああ徹はこんな感じで生きているんだぬはあ」となんとなく勘付いていただけたら幸いです。14歳の徹と、27歳の徹の授業形式でいきたいと思います。よろしくお願いします。
徹14歳「よろしくお願いします!」
徹27歳「ほあい!」
徹14歳「えーーっと、徹さん、クオリアって何ですか?」
徹27歳「クオリアは日本語では感覚質と訳されていて、赤色を見たときの『赤い感じ』や、海を見たときの『海の感じ』など、言葉や機械的な数値で表すことのできない感覚、意識の中で感じる質感を表す概念のこと、、だと思います。基本的に脳みその中のお話です。」
徹14歳「へー!感覚の質感...のあたりが全然意味わかんなかったです!」
徹27歳「おっけぃ徹くん、それじゃあ、、、、海に飛び込んだあの夏を想像してみてほしい。まず、僕たちは海に向かって自転車を漕ぎまくっているとしよう。」
徹14歳「わかりました。超漕ぎます!」
徹27歳「日差しがじりじりと肌を焦がす。汗が滝のようにしたたりまつ毛を滑る。なま暖かい風に襟足がなびく。潮の匂いが海が近いことを知らせてくれる。自転車から降りて、ビーサンをペタペタと鳴らしながら駆け寄り、自分の2、3倍も大きいテトラポットに立って海を覗き込む。緑と青の揺れている透明の底が見える。目線を上げて、入道雲めがけて蹴り出した右足の指先で表面のザラザラを感じる。どこまでも飛んだつもりの勢いで海に向かって落ちていく。想像以上に硬い海面にぶつかる。その衝撃とともに、冷たくて柔らかい海に全身を包まれる。ボコボコという泡の音が水を伝って聞こえる。嗚呼、気持ちE...」
徹14歳「嗚呼、気持ちE...」
徹27歳「なんとなく想像できたかな?」
徹14歳「はい...」
徹27歳「これ、全部クオリアです。」
徹14歳「ぜんぶ?!」
徹27歳「たぶんぜんぶ!!ただ、とっても大事なことは『実際に味わってみること』だと27歳の時点の俺は思っているぜ」
徹14歳「俺(彼)は13年間で一体なにを味わったんだろうか...」
休み時間・・・
徹14歳「全部クオリアってことはテトラポットもクオリアってことか。あの、じゃあブログタイトルはテトラポット×テトラポットでもいいんですか?」
徹27歳「ブログタイトルはテトラポット×テトラポットだと嫌だな。長くて。テトラポットにもクオリアはあります。ザラザラした感じとか、潮にさらされたコンクリートの感じとか、貝がへばりついていた形跡がある感じとかあるでしょ?」
徹14歳「テトラポットのテトラポットっぽさがテトラポットのもつクオリアってことですか?」
徹27歳「筋がいいじゃないか徹少年ーー!!テトラポットに触れた時に感じる、海育ちの僕たちが感じてきたテトラポット感がテトラポットのもつクオリアってことになると思う!たぶん!」
徹14歳「なるほど、だんだんわかってきたような気がします。それで、冒頭でクオリアは無限、って書いてましたよね。それはどういうことなんですか?」
徹27歳「...着眼点が素晴らしい。『ちゃくがんてん』て知ってるかい?目の付け所が素晴らしいと言っているんだ。そこについて説明しよう。例えば、クオリアAとクオリアBがあったとする。」
徹14歳(『着眼点』くらい知ってるんだが)
徹27歳「この二つのクオリアAとBを合体させる。するとそれはAでもBでもないものになる。全く別物のクオリアCになるんだ。コーヒーにはコーヒーの感じ、牛乳には牛乳の感じがあるよね。でも、それらを足したコーヒー牛乳という飲み物はコーヒーのクオリアと牛乳のクオリアを足したものにはならないだろう?コーヒ牛乳のクオリアになるんだ。掛け合わせると全くの別物になる。これこそがクオリアのもつ無限の世界観なんだ。」
徹14歳「ちょっと興味が出てきました!それじゃあ、、」
キーンコーンカーンコーン・・・
徹27歳「はい、じゃあ今日はここまで。俺は英語の先生とランチをしてくる!創造的人生の持ち時間は10年だ。芸術家も設計家も同じだ。君の10年を、力を尽くして生きなさい。じゃあな徹少年!」・・・おしまい
クオリアは世界のあちこちに存在していて、世界は様々なクオリアに満ち溢れている。でもその実、クオリアは自分の中にあって、外にはない、と思う。海が怖いという人もいれば癒されるという人もいるように、クオリアは『物体』ではなく、それぞれの『人(心)』に属している。
海の家育ちだからか「海開きはいつ?」と聞かれることは多い。僕は海は閉じたり開いたりしないと思う。ただ、夏以外の海は基本的に冷たい。液晶に出てくる℃の数字だけではきっとわからない。生肌で感じる絶対的な温度を手探りして、
— 嘉向徹の身体ありがとう (@toru_kamuki) 2017年6月2日
"今開く" と決めて飛び込む 自分開き pic.twitter.com/3JX6dAmdmN
外の世界に触れれば触れるほど、そこには自分の内側が広がっていて、自分の内側に触れれば触れるほど、世界は無限に誕生する。新聞とかテレビとか地震とか教育現場とかそんなものを見てきて「この世界は有限だなあ」などと思ったこともあったけれど、それでも世界は無限でいてくれるらしい。無限でいてくれてありがとう。
科学も愛もコミュニケーションもまだまだ成長と成熟、崩壊と創造を繰り返していくとしたら、まだまだ何が起こるかわからない。何を経験しても、何歳になっても驚きは終わらない。世界は内側に満ち溢れている。
おすすめなのですが、100分あります!!
【HND-横浜】最近のあれこれ〜さすらいのお勉強野郎〜
僕の名前は嘉向徹
きままなフリーターだ。
静岡でのおべんきょうを終え、多少の体調不良から情けなくも電車に乗り神奈川県横浜市へとやって来た。ここにはごちゃまぜの家という名前の一軒家があり、そのお家に一週間ほど滞在させていただいた。ゆるりとした昼下がりに知らない人が訪れたり、庭にある柿の木に登ったり、外に張ってあるテントで寝たりと、それはそれはとても快適に過ごした。
ごちゃまぜの家というのは老人は老人ホーム、子どもは保育園・幼稚園というように、それぞれの居場所を分けること【世代分断】に疑問をもった(それ以外にも500こ理由があるらしい)坂爪圭吾さんという方が営み、主宰しているお家である。
それでは最近思ったあれこれをまとめていこう。よろしくお願いいたします!
1・美味しいは嬉しい
最近は毎日なにかしら料理を作る。玉ねぎを切っていた時【食材持ち込み式レストラン】というのを思いつく。「なんだか手料理が食べたい、でも自分で作るのは大変だなぁ。」そんな時にお役立ちしそうだ。食材を持ち込んでもらい、その時のあなたの気分に合わせて僕が調理して0円でご提供する。本来であれば自分の気分に合わせて自分が作らなければならなかったお料理を、自分の気分に合わせて他の人が作ってくれる。これであれば、大して美味しくなかったとしても嬉しい気持ちになれるかもしれない。嬉しいと、美味しく感じるのが人間である。
2・元気は振り絞るものじゃない
一度もやったことのなかったビリーズブートキャンプをやる。2004年に流行った昔懐かしのエクササイズが今、ごちゃまぜの家で爆裂に流行中なのである。滝のような汗をかいた僕たちにビリー隊長が「スクイーズ(振り絞れ)!」と笑顔で厚かましく語りかけてくる。一瞬勘違いして胸がはりさけてしまいそうだが、隊長が振り絞れと言っているのは元気のことじゃない。筋肉のことなんだ。
3・毎日の温泉が目標
春夏秋は海が好きになり、冬は温泉が大好きになる。この頃、できれば毎日温泉に浸かれたらいいなあと思っていて、どこへ行ってもグーグルマップで「日帰り温泉」と検索する。おすすめのところがあったらぜひ教えて欲しい。ここ最近では徳島にある祖谷温泉のケーブルカーで行く露天風呂が一番印象に残っている。次はどこかな〜あはあはははは。
4・生きるというスポーツ
周囲の人や新聞やテレビやインターネットを介して、どこからともなく「あなたも私のように一人前になりなさい」というメッセージが送られてくるように感じる。しかし、もし生きることがスポーツだったら「生きるってチームプレーだろ!」と言いたい。チームプレーに必要なものは自分は一人前だと踏ん反り返る事ではなく、相手の立場や気持ちを想像し、協力しあうことだと思う。
6・頑張らない努力
部活をやめるとか、学校へ行くことをやめるとか、仕事へ行くことをやめるとか、他人の期待に応えることをやめるとか、何かを頑張らないということには【(自分を保つ)努力】と【(感じたことを実行する)勇気】が必要になると思う。だから、頑張っている人が頑張っていない人に向かって「お前も頑張れ」などと言っている場面に遭遇すると、頑張らないことを頑張っていない人なのだな、と感じることがある。頑張る道も頑張らない道もだいたい同じだ。
7・ヘルシンキと新潟の曇天
ユーラシアプレートを挟んでざっくり対岸に位置する新潟とヘルシンキ。この二つの場所にごちゃまぜの家を発掘する命を授かった。突拍子もないけど、突拍子もないからいいなぁと思う。新潟には日本海がヘルシンキにはバルト海があり、どちらも少しでも山あいに行くと超絶寒いようだが海の近くではそこまで寒くならないらしい。そして、関東が晴れる数だけ雨が降る新潟に負けず劣らず、ヘルシンキの曇天もかなり分厚いと聞いた。どうやったら二つの場所にごちゃまぜの家を発掘できるだろうか。今はわからない。突拍子もない手順を踏むことになるだろうけど、雨垂れ石を穿つようにやりたいと思う。合言葉は「涙の数だけ強くなれるよ」である。
ついに、LCC(ローコストキャリア)Peachにて大阪ー新潟便が就航した。新潟空港は東区にあり、佐渡ヶ島へのフェリー乗り場は中央区にある。このあたりで「ごちゃまぜの家」をいただきたいと思う。
8・ごちゃまぜの車
大切なひとの大切なひとから自分が譲り受けた車をごちゃまぜの家の共有財産「ごちゃまぜの車」と称して0円大開放することに決めた。運営は坂爪圭吾さんにお願いしたい。「車中泊してみたいけど、そのために車を買うのはハードルが高いし...」とよく聞くけれど、そんな人にはもってこいの、否、そんな人には(二の足踏まずに車中泊)行ってこい!のアイデアかもしれない。お金がまとまり次第、速攻で新潟に置いてある車を車中泊専用に手入れをする予定でいるが、不肖、嘉向にはお天道様に誓って、なう、お金がない。どなたか改装とメンテナンスにかかる費用を差し出してくださる方はいるだろうか。内容と金額の詳細を改めて出そうと思う。そんなこんなで「ごちゃまぜの車」に興味のある方はどなたでもお気軽にご連絡ください。約一年間で地球1周半分の道のりを何も言わずに連れ添ってくれた愛車、ファミリアバン。これからはきっと誰かの愛車になる。
9・だれのことも救わないし、だれのことも巻き込まない
問題を解決したいと思わない。地域を盛り上げたいと思わない。誰かを救いたいと思わない。人を巻き込みたいと思わない。繋がりたいと思わない。地方の魅力を創出したいと思わない。ひとのせいにしたいと思わない。ひとことも言い訳したいと思わない。心を通り抜ける風に吹かれ、てくてく歩き、勝手に生きて野に垂れるように死ねたらと思う。
10・嘉向徹 26歳。
11月24日生まれ。射手座。好きな動物は狼とシャチ。推薦で受かった大学を入学前に自主退学し最終学歴は高校卒。以来、数々の職業的なものを転々とし、目下人生勉強中。しゅみ、おべんきょう。好きな言葉「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」。心身ともに至って健康。道行く車に親指かかげ、ヒッチハイクで新潟へ行く。将来、日本を... いや世界を救う男(かもしれないし明日死ぬ)かも しれない。
【最近のあれこれ、動画ヴァーーージョン】2ふんくらいあるよ
ヒッチハイクオリア ー どんな今でも、この時点から肯定する。それがいつだって切り札になる。
長野から静岡へ移動しようという日の早朝。なぜか、木々の凍る浅間山を登っている。スーパーマリオの裏面行くための隠し扉みたいなものが山頂にあるかも、しれないだけでもちろんなかった。(ナイスチャレンジ!)
今日のトールルート
「なんとしてでも今夜中に静岡にたどり着く。」そう心に誓っていざ出発。浅間山の山頂にあるホテルの大きな駐車場にはお目当の静岡ナンバー(目的地である静岡ナンバーの車が乗せてくれたらフィニッシュ!と最初から最高な絵図を描いている)は停まっておらず、友人の車でひとまず下山して国道へ。そして始まっていく人生史上一番きつかったヒッチハイク道。本編に入る前に、おさらいしておきたいのはこの時携帯の回線がストップしていたということで、今でこそ「こんな地理だったのか!」と納得するが、ヒッチハイクの最中は周囲の地理がわからないとかなりご苦労するぞ。
鬼門その1・山奥のインターチェンジ
長野の下道を1時間ほど乗せていただいたお兄さんにお礼を言い、降り立ったのは長野県の山奥、岡谷インター手前の駐車場。このインターから高速に乗って静岡方面に行きたい、という局面。
16:00
あたりはもう薄暗い。列をなした車が山奥のまっすぐな道路をかなりのスピードで走り抜ける。この道に慣れ親しんだツワモノ揃いの行列だ。
思いつく限りの場所に陣取って親指を上げる。が、なかなか車は止まらない。肝となるのは高速直前の交差点。渋滞を避けるためだと思うけれど、トンネルを抜けてきた車は信号が赤でもノンストップで曲がっていくことができる仕組みだ。つまり、ツワモノたちはブレーキをちょいと踏みながらスーパースピードで交差点に侵入し、どんどこ高速に向かう。そんなこんなでヒッチハイクを始めて数十分、よくよく観察していると運転手の方に目を合わせてすらもらえていないことに気づき「可能性0じゃん...」と悶絶する。
次に陣取ったのは上の画像の赤いポイント。トンネルを出てきた車が道端にいるヒッチハイカーに気づき駐車場に入っていくという寸法だ。暗い山道では運転手の視界もきっと狭い。なんとか車のライトが自分に当たるように、姿勢を低くして健気に左手の親指を大きく掲げる。不良のような座り方では心象がきっと悪いので、プロポーズをするときのように紳士にしゃがみこむ。
しゃがんだ姿勢のまま振り返り、駐車場に車が入るのを目視したら、すぐにPCやカメラ等機材が入っている大事だけど超重たいケースを抱え車に向かってダッシュする。速攻で話しかけるもほとんどの車から「松本方面なんですよねぇ。。」と言われる。というか、ヒッチハイカーを乗せるために駐車場に停まった訳ではなくタバコとかトイレとかそういう用のためだった。こりゃダメだ、とわかり次第ダッシュでトンネル脇の所定の位置へと戻り笑顔でサムズアップ。走る・喋る・走る・笑う・走る・喋る・走る・笑う...こんなことを繰り返していて心身共に疲弊してきた時に、ふと「おれは走るためにヒッチハイクしてるんじゃない!」と心に浮かび、泣きそうになる。そうだ!と何度も心に喝を入れ、俺は今静岡に向かって走っているのだ、とイメージしながら走っていると自然と笑顔になる。
20:00
怪しげな男が駐車場に止まる車全台に声をかけまくる事案が発生しているが、人からどう思われるかを気にしていたら何も始まらない、と心底で思う。そして、最終的には「ごめんね、そっち方向じゃないんだわ」と丁重に断られたにも関わらず「そこをなんとかお願いします!!!!」と頭を下げるまでに至り、ついに「しょうがねえな。今仕事中だけど乗せてってあげるよ。乗んな。」と満面の笑みを浮かべたおじちゃんが乗車させてくれる。
諏訪湖サービスエリアにて降ろしていただきひとりご飯を食べる。寒さでガチガチだった足先、手先まで豚汁が染み渡った。トイレに行くと(このSAに来て早速声をかけたけどダメだった)老夫婦と出くわす。奥さんは旦那さんの腕に捕まって歩いていて目があまり見えてないようだ。奥さんが「ごめんねぇ、悪いねぇ」と言うので「そんなことはありません!こうしてお話させていただけるだけでとても嬉しいです!」と返す。品のよい仲睦まじい老夫婦で(旦那さんはヨレヨレの白いランニングを着用していたけど)見とれてしまった。うーん、心まであったまりますなぁとほのぼの。
トイレから出ると軽自動車に乗っているおひとりの女性を目視。ナンバーは所沢(埼玉)「ひとりだし一応方向も一緒だけど99%断られるだろうな」と諦めた直後「いやいや声かけなかったら100%乗れないのだからこの小さな可能性の芽を自分で摘んだらあかん!」と喝を入れてなるべく優しくゆっくりめの語調で声をかける。彼女からの一言目で「怖い人ですか?」と聞かれ、予想してない言葉に一瞬??となったのだが、なぜか咄嗟に「ぼくも怖いです。」と答えていた。すごく正直な言葉だったなと思う。彼女は「運転下手くそですけどそれでもいいなら。」と乗せてくれた。しかし、ハンドルを握ると豹変するタイプだったのか、早口で「私今岐阜にいる彼氏に会って来たんすけど、埼玉からそのためだけに岐阜に行くのマジキモくないっすか?しかも彼氏いっこ下なんですよねーマジキモくないっすか?」と、どんな意味合いで使っているかわからない『キモい』を連発しながら、時速120kmでかっ飛ばす軽自動車の助手席はマジで怖い。「怖いよ」と伝えると、彼女は「120kmってほんとーに捕まるんすか?まじありえないんすけどー!」と明後日の方向に返事をしながら前方を走るトラックを煽っていた。
24:00
そんな彼女と山梨県にある双葉サービスエリアにてお別れする。思った以上にここは車のいない場所だ。24時、それでもなんとかなって欲しい気持ちに願をかけてカツカレーを食べる。誰もいない深夜のサービスエリアはとても物寂しい。でも、高速道路を車が走り抜ける音は聞こえる。この時間帯でもお仕事をしている人たちがたくさんいるのだ。俺も頑張らねば、と思って目を閉じる。閉じた瞬間に寝た。(今日中に静岡に着きたかったけど、おっけー!)
9:00
ザーザーと雨が降っている。傘はないけどどうにかしよう。むくっと起きて歯を磨いて髭を剃って身だしなみを整える。まずは印象から、大事だね。大切なケースに雨が当たらぬように自分の服を着せて抱え込む。
鬼門その2・双葉サービスエリア
屋根の下にベンチがありそこに座って車が来るのを待つ。車が来たら駆け寄ってナンバーを確認する。数十台見ても静岡や静岡より更に西のナンバー(浜松・豊橋・三河・岡崎)は見当たらない。それならば、とほぼ東京方面へ行くであろう車に片っ端から声をかけ「奇跡的に次のインターで降りて静岡方面に行きませんか?」と尋ねる。当然だけど、ここから静岡に行く人はそうそういないようでことごとく断られる。ちなみに話しかけるタイミングは運転手が車の近くにいる時か車に乗っている時のみで、そうじゃないと誰がどの車に乗っているかわからない。タイミングを逃すと、話しかけたかった車がすでに出発していなかったり、運転手が戻って来るのをただひたすら雨に濡れながら待つ(そしてあっけなく断られる)ことになるのでとにかく元気よく走るのだ。
雨に濡れ水も滴る浮浪者となったからかたくさんの人にあしらわれる。目すら合わせてくれない人。「無理」とだけ言う人。目を合わせた途端、窓越しに手を横に振る人。「色々寄るところあるんで」となんだか本音じゃないような人。その全てのみなさまに「お気をつけて!」と笑顔で挨拶し、速やかに雨宿りのベンチに戻る。ひたすら雨は降り続き止むことはなかった。
身も心も雨に濡れた心境でそれでもやけくそでニカっと笑い、ドライバーさんに誠意を込めて話しかける。「営業やってたサラリーマン時代よりも営業してるぜ〜〜!!」とテンションが上がる。「肩書きのない自分を売り込むぜ〜!!」とアゲアゲヒッチハイクを続けていると、先ほど声をかけて断られた人が逆に声をかけてくれた。「にいちゃん、これ使いな。」渡されたのはビニール傘だった。神さま。マジで本当に、マジで本当にありがたい。ありがとうございます。ご先祖さまありがとうございます。大切で重たいケースを地面に置きそっと傘をかける。片手に傘、片手にケースを持つと雨の入射角的にケースが濡れてしまう。自分は濡れてもおっけーなのだ。
15:00
そして、15時を過ぎた頃、ついに静岡方面に行く車に乗せてもらう。静岡までは行かないけれど、駿河湾沼津SAという静岡までもうすぐのところまで乗せてくれることになる。運転手の方は男性で僕の父と同じ年齢でよく喋る。「いやー俺個人で大工やってるんだけどさ、東京の社長がこないだ8千万で長野の白馬で買った家と土地を手放したいって言っててそれが1千万でも買い手が見つからないらしんだよな。でさ、売るためにリフォームしに行ったんだけども、二階の水道管が凍結で破裂して漏れ出した水で床が腐ってもうどうしようもねえってか、空気入れ替えるためにたまには行ったらいいんだけどよ、半年間も放ったらかしにしてるもんだからさ、そんなんじゃどうしようもねえよなあ。」こんな調子でその社長の彼女が現役のアイドルだとか、熱海や伊豆には放ったらかしになっている別荘がたくさんあるだとか、たくさん話してくれる。家族のことについて聞くと「息子は亡くなったんだけどもさ、娘二人はもう嫁に行ったよ。今は奥さんと二人。」そう言ったあと、お父さんは黙ったままだった。10分くらいだっただろうか、何も聞かず何も言わない時間がなんとなく心地よく、窓の外の景色は過ぎ去っていく。「人間生きてりゃ色々あるぜ〜〜!!!」
17:00
駿河湾沼津サービスエリアに到着する。残りの体力も少なく静岡での大事なおしごとのリミットもそろそろ限界ということもあり、もはや見境なく運転席で寝ていた方すら声をかけておこす。それが功を奏し、到着してから約3分。静岡まで乗せてもらえることになる。
19:00
体調、悪化。
所持金、二千。
目的地、到着。
ヒッチハイクに限らず、肩書きのない生活を続けている。肩書きがないとあからさまに冷たくあしらわれることもある。でもそんなことで落ち込んでいる場合ではない。お金を持って肩書きを持って綺麗な服で自分を飾るよりも、今のこの時点から自分を自分で肯定していく場合だと思う。どんな今でも、なんもなくても、この時点から肯定する。それがいつだって切り札になる。
【MMJ-長野東御】最近のあれこれ〜さすらいのお勉強野郎〜
僕の名前は嘉向徹。
きままなフリーターだ。
仙台でのおべんきょうを終え、今は長野県東御市に来ている。ここ東御市では今、「天空の芸術祭」なるものが開催中で、あるものは広い公園に、あるものは道端に、町のいたるところに作品が展示してある。その芸術祭に参加している敬愛する諸先輩であり友人のアート作品の制作を(勝手に)お手伝いをしながら暮らしている。最近思っているあれこれを一つにまとめると、「お風呂が大好きだ」ということになるのだけど、10個に分けようと思う。
1・やればやる気が出る
やる気とかやる意味とか意義とかを一旦片隅に置いて、まず、やり出すことは最高だなと思う。ぴょんとやり始めるとやる気が湧いてくる。結果がどうであれ、頭に浮かんだことを想像のままで終わらせずに【実際にやる】という体験はいつまでも自分の背中を押してくれる。
2・まとめる ⇔ とっちらかす
今まで全くと言っていいほどまとめて来なかった、いわゆる自分たちの”やっていること”。一般的な社会においては自己紹介が難しい、肩書きもなければ決まった収入もないやり方。人と一緒に計れないものさしをホームページにまとめだしている。これからは各地でおべんきょうしたことをホームページにまとめつつ、自分自身はもっととっちらかしたいと思う。
https://kamukitoru2017.wixsite.com/mysite
3・新米は羽釜で
新潟県佐渡ヶ島で採れた新米をリアルな火で炊いた。空気、水、夜の静かさ、そのどれもがズレがちの自律神経には効果覿面で、夜の8時に就寝しちゃうほどの環境。そこですくすく育ったお米はなるほどやっぱり美味しいのだ。新米を食べるお茶会的なものを全国の各地でやれたらいいなと思う。
4・上半身は裸で
パーカーよりも、Tシャツよりも、裸が似合う男。か、どうかはわからないんですけど「今日のファッションに悩んだら、上裸でいけ!」というメモ書きを携帯に残している。167cm体重75kgのわがままボディが故の苦肉の策か…この冬だけは冬眠せずに徹ヴィジュアル系化計画を実行する心算だ。
5・この木が誰かの作品だったら
森や山や海を見ていると、「この木が、山が、海が、誰かの作品なんじゃないか」と思うことがある。もともとこの形ではなかったものたちが、今この形を成しているのだよなぁ。あるのもは太陽の光をより多く浴びるため。また、あるものは大地の栄養と水を吸い上げるために。それぞれが、ぞれぞれで生きていくための機能や形に満ち溢れている。
6・未来から来る自分も自分
変わることが怖い、ということを思っていた。もしかしたら今までも、断続的にそう思うことはあったかもしれない。変わることが怖いという気持ちは高いところから海に飛び込むときの気持ちに似ている。足元がフワフワして、太ももの内側がキュっとなり、心でアクセルを踏み、頭でブレーキを踏む。怖いけど怖いまま、足を踏み出すと、「あら、そうでもない」ってね。自分が変わるのは怖い。でも、変わったその先の自分も自分なのだから、未来から来る自分さまよ、どんどん来い!
7・一握りのクオリア
僕が生まれ育った新潟の浜辺には砂がいっぱいある。先日、一人でとぼとぼ海岸線を歩いていて、ふと、足元の砂を一握り掴んで手の中からパラパラとほどいた。手のひらから伝わってくる砂のザラザラは僕が小さい頃から感じて来た様々な印象を思い出させてくれ、それは走馬灯のようにブワァッと全身を巡った。今までどれだけこの砂で遊んだだろう。一握りの砂のザラザラの中には僕にとって大切な何かが詰まっている。
8・わからないことがやりたい
ノートを目の前に開いて、「ここに自分を出す」と思ってペンを走らせると、一番最初にこう書いていた《わからないことがやりたい》。自分の3つの行動原則として【やったことのないこと・やりたいこと・やりたくないこと、をやる】というものがあるのだけど、そのどれもに当てはまらず、ある意味で、そのどれもに当てはまるな、と思った。結局、良し悪しよりも「これをやったらどうなるんだろう?」という好奇心が日々の原動力だ。
9・無理ー!と思う時、無二ー!と叫ぶ
ここ東御市で行われた芸術祭では大変べんきょうになることがたくさんあった。友人が携わっていたのが「人と人の間の事柄を扱うアート作品」で、一方では(多分)複雑なそのまちの事柄をなんとも軽々しく突破していた。僕自身、佐渡ヶ島をうろちょろした挙句、世代間の壁を感じて「無理ー!」と思う時もあるけれど、その光景も、その経験も、そしてその【感覚】も、まさにこれ唯一無二なり、と気づいた。無理ではなく、本当は、無二なのだ。
10・嘉向徹 26歳。
11月24日生まれ。射手座。好きな動物は狼とシャチ。推薦で受かった大学を入学前に自主退学し最終学歴は高校卒。以来、数々の職業的なものを転々とし、目下人生勉強中。しゅみ、おべんきょう。好きな言葉「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」。心身ともに至って健康。道行く車に親指かかげ、ヒッチハイクで静岡へいく。将来、日本を... いや世界を救う男(かもしれないし明日死ぬ)かも しれない。
【最近のあれこれ、動画ヴァーーージョン】4ふんくらいあるよ
ひとがOKならOKは「全然OKじゃない感」
「今夜のご飯どこに行こっか?」と聞かれて、
「どこでもいいよ」なんて言いたくはない。
以前付き合っていた彼女との間で何度もこじらせた記憶がある。たまの休日に一緒にご飯に行く約束をして、合流するとこちらからいつも聞いていた。「今日はなに食べたい?」彼女は「どこでもいいかなあ」と言う。その言葉に「どこでもいいってなんなん!」と目くじらを立てていたのだった。
最初は彼女にプンスカするばかりだったけれど、後になってよくよく考えてみれば、これは自分自身にも言えるのではないか、と、一抹の不安がよぎる。そして、自分に向かって「お前こそどうなんだ」と問いかける。
今思えば、あの時の自分は彼女とご飯に行きたいわけではなかったのだろう、と思う。「きみとご飯に行きたい」という気持ちオンリーであれば、どこでもいいはどうでもいいだとか、せっかくの休みなのにだとか、彼女に対してあーだこーだ言わないだろう。一緒にご飯に行きたいのなら、それ以外のことは完全無視でいい。それを無視できず、彼女の振る舞いを見て文句をつけ、その実、この両目のついている自分自身を見落としていたのである。
「どこでもいい」と言った彼女に対して「きみは何も選ばないの?俺がOKならきみはOKなの?俺がじゃあマックでいいやと言えばそれでいいの?今日はたまの休みだぞ。お寿司という選択肢もあるのだぞ。それでもドライブスルーでいいのか」とまくし立てていた自分に、「じゃあ一緒に行くのをやめろ」と、「ひとりで行け」と言いたい。
彼女がOKと言ってくれたから、ご飯に行く約束をしたのは、自分だった。
ひとがOKならOKは「全然OKじゃない感」を醸し出していたのは、彼女ではなく、自分自身だった。
だから、そもそもご飯に行かないという選択肢も、別々でご飯に行くという選択肢も(選ばなかったのではなく)選べなかった。
乗っかっているやつは心底で選べない。
結局、ひとのOKに乗っかりがちな自分だ。自分の気持ちを邪険に扱えば、あの人がああ言ったから、あなたがこう言ったからなどと騒ぐしかなくなる。大切なのは過去の決定に従うことでも、相手に向かって行くことでもない。今この瞬間の気持ちの揺らぎを「おれはこう思っている」と認め、真摯に対応し、自分に向かって行くことだと思う。とそんな事をすると、時に相手から猛烈に嫌われる可能性を大いに含んでいるけれど、宇宙は表裏一体、すなわち、誰かから猛烈に好かれることもあるかもしれない。
永遠の野球少年「保科亮太」 処女作
短編小説 『THE LAST DEMON』リリース
奇跡的に詳細を知りたい方がいらっしゃいましたらこちらからどうぞ☆
【SAD-佐渡ヶ島】狼になれ。
吠えてますか?
深く息を吸って
吠えてますか?
しっかりと大地を掴んで
吠えてますか?
凛とした心を以って
吠えて、ますか?
大きく息を吸い、しっかりと大地を掴み、凛とした心を以ち、
吠えろ。
そして
狼になれ。
季節は冬で強い風が吹いていた。
ゆえに、本気で吠えていた。
曇天のどんが分厚い日本海の沿岸部で育ったからか、台風の度に海に飛び出して荒波にウォッシングされていたからか、穏やかな海よりも、荒れている海の方が「静かだ」と感じることがある。というよりも、余計な音がない、と言った方が正しいかもしれない。優しく芯に響いてくる轟音。秋の虫の声よりもけたたましく静かな音色。
波と岩がぶつかり、波と波がぶつかり、その一瞬の衝撃によって怒髪天を衝いた海が風に乗り小さな粒となって吹き付ける。「あそこに入ったら多分生きれない。」と思う。そのイメージに身体が呼応する。目は大きく開き、肺は深く息を吸い込み、足は地面を掴んで立つ。命は生きようとする。
ー時の後、「ふぅーー。」と肩の力を腹に移す。
みんなとか、一人前とか、そういう言葉を使う同調者が割って入る隙間のない密度の世界観。「大声出しちゃダメよ。」とか無論ありえない世界観。自立とは独立と孤立を掛け合わせたものだとか言い出したくなる世界観。みんなでいたい寂しさが霧消する孤独感。
人間であることにしがみつくな。
狼であれ。
人並みであることにしがみつくな。
自分であれ。
人生でやりたくない100のこと。
目玉焼きを半熟で食べること/炊き加減が固いご飯を食べること/ケチャップをつけて食べたいものをケチャップをつけずに食べること/買った商品にシールをつけられること/子どもができた瞬間に守りに入ること/自分に嘘をつくこと/嘘をついたのに嘘じゃないよと上塗りすること/土下座できないプライドを持つこと/自分を無視すること/他人を無視すること/東京に住むこと/埼玉に住むこと/千葉に住むこと/群馬に住むこと/汚れた空気ばかりを吸うこと/あれはだめこれはダメと一歩が踏み出せないこと/やる前に考えて結局やらないこと/レストランでメニューを見て3分以上悩むこと/今日着る服で悩むこと/予定がびっしりになること/最高のお誘いをいただいたのに受けれないこと/距離のせいにして諦めること/できない理由ばかり挙げること/できない理由をそっくりそのままだから良いじゃんやろう、と言えないこと/他人のせいにして何もしないこと/海には入れないこと/海を見て何も感じないこと/流したい涙が流せないこと/不死身になること/死を意識できないこと/不自由がないこと/幸せだけになること/畏れが失くなること/呼吸が浅いこと/鼻がつまること/都会最高とか言い出すこと/田舎最高とか言い出すこと/食べるときにくちゃくちゃすること/片方の手を添えずに片手だけで食べること/片方の人の意見だけで物事を判断すること/新聞を読むこと/夕方のニュースを見ること/ニュースを見て不安になること/世論がどうとか言い出すこと/誰かの言葉を借りてばかりいること/それでいて語気を強めること/店員さんに挨拶しないこと/同じことを同じようにやりつづけること/逆の意味を込めてありがとうと言うこと/夜勤/時給/生命保険をかけること/言いたいことが言えないこと/クソなものをクソですねと言わないこと/クソですねと言う時にユーモアがないこと/美味しくないものを美味しいとか言うこと/捨てたいものを捨てられないこと/寂しさばっかり募らせること/夕日に心を預けられないこと/海と友達になれないこと/鹿と友達になれないこと/鹿目線になれないこと/想像力がなくなること/人の目を見れないこと/年下の女の子の頭を撫でる行為/ひとまず安心させるだけで、それだけみたいな行為/エロくなれないこと/今やれることをやらずにいること/大好きと思った瞬間に発せないこと/機転が利かないこと/頭がギュウギュウになること/一人の時間を持てないこと/一日中テレビを見ること/バカになるのが怖くなること/アホと見られるのが怖くなること/大声を出せないこと/人目を気にして地べたに寝っ転がれないこと/自由さがなくなること/SNSで良いことしか言えないこと/全ては愛とかいいだすこと/言葉ばかり使って心を使えなくなること/自分がするのはいいけど他人がするのはダメ的な意見/車の運転が荒いこと/土がついたことを汚いとか言うこと/若いうちだものね...系/みんなという言葉の中に自分が入っていないこと/好きなものばかり探すこと/努力で身体を壊すこと/優しさに溺れること/気合いの乗らないことを平気でやること/自分のものを自分のものとか言い出すこと/他人にあーだこーだ言うこと/7部丈のズボンを履くこと/人の想いに鈍感になること/抜歯/人の可能性を潰す行為/往生際よく往生できないこと/自分が自分じゃなくなること/自分が変わるのが怖くて留まろうとすること/この両手で抱きしめられないこと。
巷では、自分が好きそうなものにばかり視線が向けられている。見たり、着たり、食べたり、参加したりして好きかどうかを確かめることにお金と時間を注ぐ。そうすれば多分、好きなものは増える。そして、好きと言えば好きだけどめっちゃ好き、ではないものに囲まれる。めっちゃ好きではないものに囲まれ、緩慢な空気を纏い、なんとなく月日が経つ。
好き嫌いまでごちゃ混ぜにしてたら
感覚マヒっちゃうyo!!!!
好きなものをどれだけ増やせるか、ではなく、好きなものをどれだけ減らせるかの(嫌いなものをどれだけ増やせるかの)勝負が始まっている。選択肢を増やせば、「あの時あっちを選んでいれば...」という類の後悔も増える。大事なことは、自分が何をどう嫌っているか、をはっきりさせることだ。惑わぬ自分で、本心から「大好き!」を発するために。
自分が好きなものは見つけに行かなければわからないかもしれない。けれど、自分が何を嫌いかは実は自分が一番よくわかっていることなんじゃないだろうか。複数人でダダダーっと自己紹介をする場合などに始まる「◯◯が好きです」ゲーム。こんな時に、にっこり笑いながら「私は〇〇が嫌いです☆彡」と丁寧に自己紹介すると、結構いい感じになるのでおすすめです。